【脳内整理】異端児が破壊する曖昧な社会という世界

はじめに

今、社会という曖昧な世界で僕は漂っています。社会とか社会人とか、何を持ってそのような定義づけ、名前付けをしているのでしょうか?給与をもらうから、仕事だから、学生ではないから・・・言い訳や理由付けは様々だと思います。

しかし、果たしてどれだけの人が本当の社会という意味と構造を知っているのでしょうか?
そして、どれだけの人がその曖昧な言葉に囚われて、自分を苦しめているのでしょうか?

今回は記事でもな何でもなくて、僕の頭の整理、【脳内整理】としてお送りいたします。

社会というモノは結局○○の下のレイヤー

社会人だから偉い!かっこいい!とか思っている時代もありました。お金を稼いで、バリバリ働いて、スーツをビシッと決めて、ネクタイ締めて、好きなように働いて、飲んで、奥さんの待つ家に帰る!という当時の僕(7歳)からしたら、憧れの存在でした。社会人というより、その当時はサラリーマンという名称で僕の中ではイコールで繋がっていました。

しかし、そう思えたのも僕の父親、そして母親の存在があったからこそだと思いますし、あの2人だから僕にそう思わせられたのかも知れない!と今でも感じています。もちろん、嫌なところであったり、噛み合わないところも多々ありますが、所詮別の人間なのでそこは深く考えていません。

そして、大人(年齢的)になるにつれ、その社会人かっこいい!という想いとは全く違う、社会という曖昧な世界が僕の目の前には広がっていました。曖昧な言葉で曖昧な態度で曖昧な関係を築く、グレーな世界。「白なの?」と聞けば、「いいえ」。「黒なの?」と聞けば「いいえ」。「グレーなの?」と聞くと「そうかもしれないしそうでもないかもしれない」という長ったらしい回答ではない言葉が返ってくるだけの世界。

結局社会という曖昧な世界で社会という曖昧な言葉を使っている人たちは自分に曖昧な人たちの集まりであり、その上にはもう何枚もレイヤーがある!ということに気づき始めました。社会というモノは異端児の下のレイヤーなんだな

異端児はめんどくさくて、うざい

僕はフランスから帰国した頃から、異端児!頭おかしい!キモい!と言われ続けてきました。それ故「普通になりたい・・・」と切に願ったこともありました。短冊に「普通の男のことになりたい」と書いたこともありました。小学生の時は「社長になる!」と書いていた僕が普通になりたい、と切に願う時期。今思えば「そうだよな」となるような状況だったからこそ、そう思っていたんだよな、と過去の自分に同情すると同時に、よく自分を殺さずにいてくれた!と感謝の気持ちも芽生えます。

高校で落ちこぼれて、中退してギターと出会い、僕の知らない世界が広がっていました。
そこでは主にビジュアルが奇抜な人たちが多くて、街中で「何あの人たち・・・ざわざわ」と言われるような人たちの集まり、と当時を思い返せば思っていました。しかし、普通になりたいと思っていた気持ちはその瞬間に、奇抜でありたい、と思考が変化・進化していきました。

当時から好きな、細美武士がステージ上で本当に響く言葉をいくつも投げかけ、それに感激して泣いてしまうオーディエンス。

その光景が忘れられず、「僕も人を感動させたい」という目的ばかりを見ている時期もありました。けど、その目的を達成するには手段が必要です。そのために、音楽で困っている人を前向きにさせられるような曲を作りたい!と思うようになりました。そこからのバンドマン生活が始まりました。

けど、学内で理不尽なこと、納得できないことは何度も考え、質問し続ける日々でした。当時大変お世話になった、手島先生に本当に感謝しています。その時から、僕の異端児っぷりは度を超えていたのかも知れません。

結局音楽の世界で人を変えるには、自力の努力だけでなく、他力のLUCKもあると言うことも実感したので、趣味にしました。

音楽の世界でやっていきたいと思っていた時期は非常に長いですが、今の僕になれて後悔もないですし、むしろ幸せです。音楽を否定する気もないし、むしろ大好きだからこそ、趣味にしただけです。一生ギターをかき鳴らしていきたいですね、ベランダで。

異端児はめんどくさがられて、うざいとよく言われます。

大学に入って、矯正がかかってしまった

大学に入学して、刺激になる体験いっぱいしてきました、させていただきました。
そして、その中で頭のおかしい人たくさん出会えました。頭のおかしい人ってのは僕からしたら最高の褒め言葉だと思っています。

普通の会話ってもう聞き飽きてて、その人の夢とか、戯言とかって実はすごい可能性を秘めていることが多かったりします。

なによりも、熱量が半端ないです。当たり障りのない話をする人って、テンプレートに沿って、曖昧な言葉を並べていることが多くて・・・。と僕は感じています。しかし、大学とはその曖昧な社会という曖昧な場所にいくための1つ前の場所です。(一般的にね)

だから、当たり障りのない言葉選びの癖が若干付いてしまいました。しかし、3年生頃から、起業しようとして悪戦苦闘を始めた頃から、その当たり障りのない言葉や優しさって邪魔ですね!と言うことに気付きました。

けれども、癖ってなかなか治しにくいモノでして、ようやく治ってきたようなものです。

結局起業は失敗に終わりましたが、大きな人生経験と財産になりました。その後社会という曖昧な世界に飛び込んだのです。

曖昧な社会は曖昧な人しかいないのか?

今のところ曖昧な人が多いです。曖昧なトレンディな言葉を使い、つまらない演説を行い、つまらない説教を行い、つまらない正論をグダグダと話し続けている人が多い印象です。もちろんそうでもない人もいますが、ごく少数です。つまらない話って実は曖昧な話が多いことが多くて、「空は青い」とか「社会人だから寝坊はだめだ」とか・・・社会なんて、個人の集まりだし、企業だって個人の集まりだし・・・その個人に対して本気になれないって残念な人たちだなと思いながら日々過ごしていました。

そこから、休職を2度経験して感じたことがあります。

世界を変える人はやっぱり頭おかしい人たちだなと思いました。そして、実感しました。

世間から批判されて、ディスられて、異端児扱いされて・・・。けど、本当に世界を変える人たちって実行している、つまり行動に移している人たちが多い、というかそういう人たちしか出来ていないことにも同時に気づけました。

企業内の社内政治とかをうまくやって、上に上っていく人たちって本当につまらない人が多い印象です。
昔は違ったかも知れないけど、染まってしまったり、現状に満足してしまったり・・・。そういう人たちは過去の話が多くて、聞いてて怠いし、僕の時間を無駄にしています。

企業で頑張れる人、起業で頑張れる人

起業は1つの手段です。目的もなく起業したい!と言う人が多い中、本質はなんなの?と聞くと「えーっと・・・」と言葉に詰まる人が多いです。そして、話していてつまらないです。曖昧すぎます。

僕が起業して、頑張っていないのに何言ってんだこいつ?と思う人はどうぞそう思っていてください。
僕が起業していないから発言してはいけない、という思考がまず理解できません。

考えて、悩んで、時には喜び、時には落ち込むこともある中でその思考をただブログという1つの場所に書いているだけなのですから。そんなムキになるだけ無駄ですよ。

企業で頑張れるんだったら頑張ればいいじゃないですか。それを誰も悪いだなんて言ってないんですから。
僕はいつ「企業で働くやつは悪い!」なんて言いました?そう感じるのであれば、なんでやめないんですか?

僕が起業してみたいな〜と思う理由はただ1つ。他責したくない・場所を選ばず働きたい。ただ、それだけです。だから、正直企業内でも実現できるかも知れません。と思って今のところにまだいます。けれども、その夢というのでしょうか?実現化するには少々企業内だと面倒ですし、時間もコストもかかります。

じゃあ、どうする・・・。ここで今考えています。

僕が好きなCMのナレーション。最近見つけました。

クレージーな人たちがいる
反逆者、厄介者と呼ばれる人たち
四角い穴に 丸い杭を打ちこむように
物事をまるで違う目で見る人たち

彼らは規則を嫌う 彼らは現状を肯定しない
彼らの言葉に心をうたれる人がいる
反対する人も 賞賛する人も けなす人もいる
しかし 彼らを無視することは誰もできない
なぜなら、彼らは物事を変えたからだ
彼らは人間を前進させた

彼らはクレージーと言われるが 私たちは天才だと思う
自分が世界を変えられると本気で信じる人たちこそが
本当に世界を変えているのだから

Think different.

かの有名なスティーブ・ジョブズのApple社のCMです。
この言葉が好きとか、かっけー!とか思っている人はたくさんいると思います。
スティーブ・ジョブズみたいになりたい!と思っている人もいるかも知れません。

けど、なりたいんだったらどうすればいいのでしょうか?
憧れの存在にしてはいけない、だと思います。

近所のおっさんが言っている言葉、と思った瞬間「あの人がこんなすげーこと言えるんだから、俺でも出来るわ!」と思うことから始まると思います。

僕は今、この文章を見て、「口先だけで終わりたくない」と思っています。

頭の中で考えて、モヤモヤしていたことが実はここだったりするのかも知れない!と言う部分が多少なりともあったりします。

なりたい!と思うことはすごく大変なことだと思います。
けど、そう信じ続ければなれると僕は思います。年齢に関係なく。(限度はあると思いますが)

さいごに

異端児になりたいなら、異端児と接することだと思います。

自分が異端児でないなら、それも1つの強みかも知れません。あの人になりたい!とかあの人を超えたいと思う気持ちは大事な反面非常に危険な思想です。

なぜなら、あの人はいずれ死にます。影響は及ぼしても何も保証はしてくれません。目標が消えたら?目標を超えたら?その次はなんでしょうか?

だからこそ、僕は日々情報収集と情報発信を行い続けて、次のジェネレーション、新しいジェネレーションを観察しています。新しい人たちは今の時代にあるもの、ないもの、どちらも赤ん坊から体感しています。その五感と会話したり、受け止めたりすることは非常に自分にとって有益なことでもあると思います。

と同時に、曖昧な人間も必要です。
だから、社会は成り立っているのかも知れません。

僕にはわからないし、理解できないけど、今後も自分にすり込むつもりもありません。

既成概念ってトレンドだったりするので、自分で取捨選択しないとパペット状態になるだけです。そうなりたくはない。

ひとまず、脳内整理完了。

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