A-SKが綴る情報発信書

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雑記

【プロフィール】A-SKがメディアスクレイパーになるまでの日々

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はじめに

A-SK(えーすけ)について、知りたい!という要望が上がってきたため、今回急遽このような記事を書くことにしました。
人生とても充実してそうで、何にも不自由していなくて、すごい幸せそう!と思われています。

実際そういうところも多々ありますし、ほとんどの方がそういう意見をくださるので、上記のリア充ハッピーリッチマン!みたいなイメージで合っていると思います。傍目はですよ。

では、どうしてそのようなA-SKになれたのかを今回は紹介していきたいと思います。
実際はどん底貧乏エンジニアをやっています。(結論先に書いちゃった)

人生最強の代名詞帰国子女を拝命

人生で一度でもあの人になりたい!こんな命名をされたい!と思った人はごまんといると思います。
僕もそんな人間の1人でした。ケインコスギになりたくてなりたくて仕方がなかったです

元々東京で生まれて、3歳ぐらいの時に横浜駅から少し離れた場所に引っ越し、そこで小学校生活を送りました。
しかし、そんな小学校生活もある日一転。フランスに転勤が決まりました。そこが1つのターニングポイントでした。

帰国子女最強になるまでの泥道

帰国子女最強だなんて誰がほら吹いたのか、今なら問いただしたいですね。
実際最強ですけど最強になるまでの道のりは最低で最弱です。

意味のわからない言語を喋る集団の中に放り込まれて、謎の文化に慣れるために必死に頭を回転させて、何を考えているのか、これはどういう意味なのか意図なのかをひたすら考える日々でした。

なので、帰国してから今でもよく「A-SKは物事を考えすぎ」と言われます。
実際その言葉を否定する気もないのですが、(なぜならよくわかっているから)そういう人間になるのも帰国子女ならではなのではないのでしょうか??

そんな経験を3年ほど続け、単身帰国しました。

帰国後祖父母の家に居候

祖父母の家に居候して、THE軍隊式の教育、祖母の愛のある家事の手伝いなどをし、中学1年生から祖父母の家の近くの中学校に転入。なので、小学校は卒業していない扱いになっていますが、それでも入学できちゃうんだね。笑

余談ですが、だったら大学出ていなくても新卒の就活させろよ!と思いました。

話を戻して、中学で激しいいじめに遭うまで数日を要しませんでした。
英語が出来るから、と女子からチヤホヤされてた自分に酔いしれていたりした面もあり、あっという間に男子の敵になりました。

日々怯えながら、あっという間にネットの世界に潜り込み、メイプルストーリーというゲームにはまり、お年玉はすべて課金へ流れていきました。今思えばそのお金さえあれば・・・とか考えちゃうこともありましたが、今思うと「安い教育費だった」と思えるぐらいには成長できました。

居候して数ヶ月後両親と弟が帰国。祖父の軍隊式の教育の洗礼を受け、若干日本男児らしくなれた最中実家へ戻りました。
中学生活なんてろくに覚えてないし、思い出したくもないけど、激太りして絶望的な気持ちになっていたのだけは今でも覚えています。今もややね・・・お腹周りがね・・・笑

中学転校を進められるが断り闘う

闘いましたが、的は数十名とはいえ、当時の僕には大敵でした。
高校には行こう・・・と思っていましたので、受験をして高校に無事入学を決めた上で、卒業しました。

しかし、入った高校も合わずに中退しました。
いきなり15歳にして、フリーターならぬニートになります。

そんなときに出会ったギターという救世主。ギターに救われ、音楽の道を歩み始めます。
必死にギターを練習して、作曲というモノに目覚め、歌を歌うことに目覚め、レコーディングエンジニアに目覚めました。

時間はそんなにかからなかったです。生きている実感を覚えながら、バンド活動に明け暮れ大きなステージまで上り詰めました。

ここで来る第二の崖ドンッ事件

契約とか、事務所とかそういう面倒な手続き、要求に耐えられずフリーで活動を開始し始めました。
しかし、それではまるで趣味の範囲。ここで気付いたのです。プロは相手が求めるモノも自分の色を入れながら生み出すということに。

僕にはそれが出来ませんでした。そんな崖から落とされて谷底でウロウロしているときに、声をかけてもらいました。

ちょっとうちのバンドの撮影してくれない?

まさかでした。なんで僕が?と思いながらも恐る恐る引き受けてみました。
祖父からカメラは少し教えてもらっていたモノの、開放?F値?ISO?はい?みたいな状況でしたが、エントリーモデルのカメラを買って撮影に挑みました。

感想:めちゃくちゃ楽しかった!それ以来写真のセンスを認めてもらい、機材もアップグレードしながら、まさかの二言目には「ウェブも作ってよ」を頂き、ホームページビルダーを駆使しながら撮影した素材を当てはめ構築しました。

今思えばひどいもんを法外な値段で作っていたもんだなと笑えますが、一番笑えないのは当のバンドマンでしょう。
そこから、クリエイターの道に踏み出しました。

専門学校に行っていましたが、アメリカに行け!といわれ、1年で退学届を出し311が発生しキャンセルし、ニートになっていた自分に少し光が見えてきました。フリーターへ転身して、小銭も稼ぎ、大学へ進学。

3年遅れの入学だったけど、全くもって無駄な3年間ではなかったです。

大学で思い知る実力のなさ

あったのはセンスのみ。それをひたすら磨く日々が始まりました。
ある程度磨いては、強者が入学してきて落ちぶれる。そんな3年間。4年目にしてようやく自信がついてきて、プレゼンテーションなどの能力も上がりまして、無事卒業。得たモノはかけがえのない友人たち、仲間でした。

これがコミュニティに属すると言うことなのか!と感じました。

一流企業に就職

そして、僕は落ちぶれた。

しかし、ここで気付きました。人よりも考えすぎるくらい考えて、新しいモノが好きで、夢中になったらとことんやる自分に向いているものはなんだろう?と自問自答しました。

そうこうしているうちにこのブログA-SKが綴る情報発信書が誕生しました。
情報収集というと、一見なんか古い感じがしますが、今の時代データをどれだけ集められるかがキーになっている!とも言われています。そんな時代を生き抜くためには、メディアをスクレイピング出来るクローラーだけでなく、人間クローラーも必要なのです、ということです。

アナログな技術はまだ存在領域が残っていますし、まだまだやれることはあると思います。

決して諦めずに、僕はメディアをスクレイピングしていきます。

さいごに

メディアスクレイパーになるまでの日々、長かったしまだ始まったばかりです。
エンジニアとして本業で働く傍ら出来ることはなんだろう?と自問自答して、出てきた答えは「わからない」ですし、今でも変わりません。しかし、エンジニアで培ってきているノウハウは必ずクローラーの機能を強化してくれます。

自分がもし迷っていたら、悩んでいたら迷わず何をしているときが一番時間を忘れているか、何をしているときが周りが見えなくなっているかをもう一度見直してみると、新たな発見もしくは自分の中に眠っている何かが目覚めるかもしれません。

僕はリア充ハッピーリッチマン!に見えますが、実際は今でもどん底にいます。
けど、それをどん底だから・・・と卑下するわけではなく、そのフィールドを思いっきり楽しみたいと思います。

メディアスクレイパーA-SKの活動ははじまりの一歩ですし、これからどんどんメディアスクレイパーを極めたいと思います。
その先にあるのがメディアスクレイパーなのかと聞かれたら、「はい」とも「いいえ」とも言わないし、言えませんが目の前にあること、好きなことに没頭するのもありだと思います。

ただ、今回は壁にぶつかっても逃げないこと、というのは念頭に置いています。

帰国子女っていいよね〜は幻想かもしれない。けど、その幻想は現実かもしれない。

是非いつも疑う心を持ちながら、物事を見るとまた違った視点から物事を見られます。

Have a great media scraping life!!

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  • この記事を書いた人

A-SK

I am 👉 Indie Developer / Media Scraper / お問い合わせは 👉 eisuke_nakanishi[@]12knox.com

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