AsKhttps://eisukenakanishi.com好奇心 / 理論 / 構築 / 車 / ソフトウェアMon, 09 Dec 2024 15:43:33 +0000jahourly1https://eisukenakanishi.com/wp-content/uploads/2023/05/cropped-askstudio-32x32.pngAsKhttps://eisukenakanishi.com3232 167041265投稿主の前提心理として「SNSのフォロワーは自分のことを知っている」から考えてみるhttps://eisukenakanishi.com/2024/12/10/the-sns-followers-know-you-but-you-do-not/Mon, 09 Dec 2024 15:43:31 +0000https://eisukenakanishi.com/?p=590

はじめに 世の中には、何気なくSNSというインターネットの大海に近い将来必ず後悔するマーキングをしてしまう人が一定数いることがとても興味深いです。 例えば実在する誰かの悪口であったり、名前は知らないけど町中で感情的になっ ... ]]>

はじめに

世の中には、何気なくSNSというインターネットの大海に近い将来必ず後悔するマーキングをしてしまう人が一定数いることがとても興味深いです。

例えば実在する誰かの悪口であったり、名前は知らないけど町中で感情的になった相手へのぐちであったり、内容は様々でありますし、表現手法も様々です。
文字ベースの場合は読み手の想像に任せる部分も多かれ少なかれありますが、画像や動画の場合は文字以上に伝わってくる情報が多い故に更に誤解や認識齟齬が発生しやすい表現方法です。

大前提、何かしらインターネットの大海原に爆弾やマーキングを行う際は、いったどこの誰がそのコンテンツを取得できるのか?
権限的な観点から、読み手は一体どのような人々なのかをしっかりと認識する必要がありますよね。

今回は投稿主の投稿は基本的に読みてからした場合投稿主と投稿内容がセットで受け取られるといった前提条件があるとした場合のお話をしたいと思います。

投稿主と投稿内容はニコイチ

投稿主と投稿内容は切っても切れない縁でつながっています。
先天的な要素、例えば性別がどっちだから、この人は学歴がXだから、両親がYだから、といったバイアスがかかった投稿内容になります。

なので、同じ投稿内容でも”誰”が投稿したかで受け取り手側からの批判であったり、称賛が真逆に作用することは大いに有り得ることです。

例えば飛行機のファーストクラスに乗りました、をTHEマダムな身なりでブランドで固めて、メイクバッチリ、加工バリバリでアップした場合と、ツートーンの質素な身なりで、投稿主の顔は映らず、座席の足元がとても広いといったコメント付きでアップされた場合、世論の反応は違ってくるかと考えられます。

インターネットの大海原に自身の意見をマーキングする際は、常に自分の座標と軸を明確にしたうえで客観的に投稿内容をレビューする力があったほうが生きやすい世の中になるような気がします。

さいごに

ふと、誰が投稿したかによってこんなにも世論の反応は違ってくるのか!と強く感じた瞬間があったので、一つネタとして取り上げました。

自身も大げさに言えばブランディングを意識しながらインターネットの大海原を安全第一で航海したいものですね。

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他人と比較することは愚かなのかもしれない@令和https://eisukenakanishi.com/2024/12/03/compare-with-yesterdays-yourself/Tue, 03 Dec 2024 14:30:09 +0000https://eisukenakanishi.com/?p=613

はじめに 生きている中で、絶対評価であったり、相対評価といった言葉に出会うことがあっただろうか? 小学生や中学生の時に時代によっては相対評価、時代によっては絶対評価だったというのは世代によって違いがあると思います。 今回 ... ]]>

はじめに

生きている中で、絶対評価であったり、相対評価といった言葉に出会うことがあっただろうか?

小学生や中学生の時に時代によっては相対評価、時代によっては絶対評価だったというのは世代によって違いがあると思います。

今回はそういった外的要因での絶対評価、相対評価のお話ではなく、社会に出たあとの自分との付き合い方について少し整理してみようと思います。

社会に出たら絶対は自分のみ

社会に出ると、私事に対して良いことを言う人もいれば、良いことを貶めるために言ってくる人もいれば、悪いことを気分で言う人もいれば、悪いことを裏の意味を込めて言う人もいます。

絶対的にその発言や言葉を処理できるのは己のみです。
そういった世の中で他者からの意見や、言葉を蔑ろにしろといった意味ではなく、他者からの言葉をどのように己の中で処理するのかを考える際に、頼りになるのは己だけであることをぜひ意識してほしいといったところが今回のお話になります。

自身の評価は絶対評価でいきましょう

社会に出て、評価を下すのは他者であることが多いと思います。自分ではAが正しい、Aをやった認識でいても周りはBが正しく、Bをやった人が正解で、Aをやった自分は間違いであり、仕事ができない人と認定されることもあります。

私は自身の客観的評価もしっかりと受け止めつつ、自身が過去と比較して成長したところを必ず振り返るようにしています。

他者と比較してもいいことはありません。あくまで自分の成長を確認しつつ、他者との比較は占いより当てにならない参考程度にしようといつも決めています。

ただ、自分が成長したい分野で秀でている人と自分の位置は常に比較するようにはしています。
人と比較して自分が下だと落ち込むことは私にとっては少なくともメリットではないから、自分ができないところを自分を落ち込ませるためにわざわざ比較する必要はないです。

さいごに

令和の時代は絶対己評価が有益であると結論付けたい。

そして、個が活躍するためにも前例がないことをどんどんやっていけるマインドを維持するためには、絶対評価こそが正義と信じています。

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建設的な議論はSNS上でも可能なのか?https://eisukenakanishi.com/2024/11/26/constructive-discussion-on-the-internet/Tue, 26 Nov 2024 10:05:03 +0000https://eisukenakanishi.com/?p=616

はじめに ニュースで目に入ったこの「SNS上での誹謗中傷が激化」の文言が気になり、筆を執ることにしました。 そして、同様にSNS上で建設的な議論は可能なのかを考えてみたいと思いました。 結論から考えてみる 結論、SNS上 ... ]]>

はじめに

ニュースで目に入ったこの「SNS上での誹謗中傷が激化」の文言が気になり、筆を執ることにしました。

そして、同様にSNS上で建設的な議論は可能なのかを考えてみたいと思いました。

結論から考えてみる

結論、SNS上でも議論は可能だと考えています。

ただ、一般的なSNS上での議論のハードルは非常に高いので、その理由を以下につらつらと書いていきたいと思います。

なぜインターネット上での議論のハードルは高いのか

皆さんは国境を超えると文化が違うと言った表現や、実際に国境を超えたことで自国では通じていた常識が通じない人に出会ったことはありませんか?

もちろん、国内でも同様のケースに遭遇することは多分にあると思います。

例として、車社会でなんでこういう動きをできるのだろう?なぜトラブルになった時に話が通じないのだろう?と疑問に感じたり、実際にそういった事象が原因で事故の処理がスムーズに進まなかったりしたことはありませんか?

1つ公共交通機関に乗り込めば、自己中心的に席を取ろうとするものや、足を大きく広げて威嚇的な人間に遭遇することも1つ自分とは違った常識の持ち主なんだろうなと感じる一場面であると考えています。

そういった自分と価値観が大小関わらず違った人が参加している世界がSNSでもあると考えています。

そして、自身の本当の姿をIDとアイコン、プロフィールなどで隠すこともできる状態で1つのお題に対して建設的な議論を行うことは非常に難しいです。

なぜなら、対象となる議論に本気で取り組んでいるのか?また、自身の情報はどこからどこまでが本当なのか?同時に自身の情報はどこからどこまで開示して議論に参加するべきなのか?そういったボーダーが国境よりも曖昧で、匿名性を保ちたい人、オープンに議論したい人、ストレスのはけ口にしたい人といった前提条件が他と齟齬が発生している状況で始まっても建設的な議論はできないと感じています。

ただ、そういった議論、建設的でな議論から得られるものもあると考えています。

SNSは一般的にオープンであり、アクセスすることができれば誰でも参加できるといった利点と特徴があります。

故に以下のような状況、環境整備を行えばインターネット上での建設的な議論は可能であると考えています。

インターネット上でクローズドな環境を作る

結論としてはインターネット上にクローズドな環境を作りそこで議論を行うことが一番生産性高く、建設的な議論を可能としてくれると考えています。

例えば有料会員制にしたり、参加するための条件を提示した上でログイン、招待状を受け取れる等の仕組みを作れば、可能だと考えています。

本当にそのお題に対して真剣であれば、対価を支払うことに躊躇はないはずです。

こういったクローズドな環境は思想として偏りが生まれる場合もありますが、SNS上での議論よりも無意味な無駄がなく、ノイズを削減した芯の部分での議論が可能であると言ったところは非常に興味深いと感じます。

ディベートの大会なども、目的が明確であるためにSNS上で散見する人格否定や、本題と全く関係のない無意味なコメントが発生しない理由です。

さいごに

何を持って有益なのか、無益なのかを判断するのは最終時点での行動です。

大事なのはその知識をインプットしたり、意見を傾聴するプロセスで無駄なストレスや自身の尊厳を踏みにじられるようなことはあってはならないということです。

学校のクラスに1人、自分とは合わないやつがいるよりも更に高確率で自分と合わない人がいるのが社会であり、インターネット上での常識になってきます。

目の前にいる人や、事象を優先し、たまに息抜きや刺激を求めてSNSやインターネットの世界に参加するのも1つ、今のVUCAの時代を生きるための術なのかもしれませんね。

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本当に好きなモノ・人がある人は周りが気にならないhttps://eisukenakanishi.com/2024/11/12/things-you-love-doesnt-care-about-the-others/Tue, 12 Nov 2024 13:33:03 +0000https://eisukenakanishi.com/?p=584

はじめに 本当に好きな人なら相手に合わせず頑張れるが、みんなに合わせて生きていると本気なやつには必ず負ける。 そういった心理と信念があると考えている昨今です。どうも、こんにちは。 最近は、入店する際に挨拶しないのが普通な ... ]]>

はじめに

本当に好きな人なら相手に合わせず頑張れるが、みんなに合わせて生きていると本気なやつには必ず負ける。

そういった心理と信念があると考えている昨今です。どうも、こんにちは。

最近は、入店する際に挨拶しないのが普通なんでしょうかね?
なかなか住みづらい世の中で、逆を言えば簡単なこと一手間で評価がぐぐっと上がる時代といえばイージーな世の中とも言えようか。

今回は好きな対象物、夢中になれるものがある人は周りの意見・視線など気にしていなくて、逆にそういったものがない人が妬みで別世界へ行こうとしているあなたを引きずり落とそうとしているんではなかろうか?といった考察について筆を執ってみました。

あなたには趣味がありますか?あなたには夢がありますか?

こういった質問をすると「そんなものありません」という返答と「私には〇〇といった趣味/夢があります」といった返答があるのが一般的に考えられることかと思います。

今回は上記のどちらが正解であるかであったり、なにが正解で、間違いであるといったことを伝えたいわけではありません。

趣味や夢がある人はいますし、ない人もいます。今回はそのさらに奥の世界のお話です。

趣味の域、趣味と夢の狭間、そんな異世界に飛んでしまっている人のお話です。

仕事とはなにか?好きへの軍資金稼ぎ、だから楽しい

そしてもう一つ、問いがあります。

皆さんは仕事は好き/楽しいですか?そしてその仕事をなぜしていますか?

私は基本的に仕事の定義がよくわかっていません。人によっては生活のため、仕事が趣味なんだよ、といった回答があると思います。他の回答もあると思いますし、思いもあると思います。

ここからはあくまで私のお話ですが、最近見出してきた仕事とは「他者にお金を払ってもらいたくなる価値を提供すること」だと考えています。つまり、「自分がお金を払って使いたい価値」を自分が持っているのか?といったお話です。

そして、その自分がお金を払ってでも得たい価値はなにか?そこに実は今回のお話の肝もあると考えています。
好きこそものの上手なれ」と昔の人はうまく言ったものです。好きな対象物があると熱中し、スキルが向上します。

スキルが向上すると他者から喉から手が出るほどに深い、広い価値を得ることができるのです。
スキルといった表現は非常に抽象的で拙い表現ですが、いわゆるスキル、知識、技術、ノウハウ、知恵、情報と様々な言い方ができるでしょう。

もし今の仕事が嫌なら、「好きなものへの軍資金稼ぎ」にするのか「仕事に好きを見出すのか」といった方法があると思います。他責することは簡単です。ハラスメントのレパートリーを増やすのであれば、とっととやめてしまえばいいと思います。

今の日本は労働者優位な契約がされています。だったら、己の好きなタイミングでやめればいいと思います。または、その環境を思いっきり活用するのも1つ案かもしれませんね。

熱中したら周りがアホらしく見える

熱中ゾーンに入ると、周りで愚痴ったり、口先の下向き至高な人々と関わることがどれだけ不毛か見えてきます。

私は怒りといった感情はとても大事だと思いますが、同時に「不毛なことに怒りのエネルギーを使うな、怒りのエネルギーは己のために使え」思考なので、自分のことを邪魔しようと怒らせてくる人はスルーできるようになりました。

大抵の場合なぜあなたを怒らせたのか問いただしても「わからない」「気分」「なんかムカついたから」といった不毛を極める回答が返ってくるので深煎りは厳禁です。

よって、逆の言い方をすると己に集中してる人とは非常に会話や時間の感覚が似てくるので心地よいです。
相手の時間、タイムスペースをしっかりと保ってくれます。時間は有限です。

気が散っていて、己に集中できていない人々は他者にちょっかいを出して、構ってもらおうとする人が多い印象です。
故に熱中することで平穏が訪れるが、そうでない時は周りの騒音が非常に気になることもあるでしょう。

さいごに

世の中にはいろいろな人がいます。
そして、そのいろいろな人はあなたから突進することも、選んでもない、頼んでもないのに突進してくる人もいます。

自分が選択権を持てるよう、己の時間と熱中の主導権はぜひ自分で持てるようにしたいものですね。

今の自分は過去の自分の選択の結果であることを最近は強く意識しながら、好きや熱中を日々追い求めながら、深堀り、更に奥の世界へ歩みを進めていきたいと思います。

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世界の基準が狂うと機会が訪れるhttps://eisukenakanishi.com/2024/11/06/when-the-world-is-chaos/Wed, 06 Nov 2024 05:47:40 +0000https://eisukenakanishi.com/?p=579

はじめに 最近世の中には嫌なニュースや読んでいて胸糞が悪くなるような投稿であったりが溢れかえている世界だなと感じています。 そして、それは自分がそういった文字を引き寄せているのか、はたまた実際に世の中でそういったネガティ ... ]]>

はじめに

最近世の中には嫌なニュースや読んでいて胸糞が悪くなるような投稿であったりが溢れかえている世界だなと感じています。

そして、それは自分がそういった文字を引き寄せているのか、はたまた実際に世の中でそういったネガティブなニュースが増えているのか実際のデータを見ていない故に断定はできませんが、気持ちの良い日を過ごせる日が減ってきていますね。

そんな中で同時に感じていることがあり、今回は筆を執りました。

同時に文字として起こして、残していくことの大切さも感じているので、また頻度も上げていかないとですね。

世界の基準とは?

世界の基準とはいわゆる常識ですね。そういった常識が非常識を上回った時に、それまでの非常識が常識に変わり、常識が非常識に変わるといったある意味ターニングポイントになります。

日本の古き良き文化や、守るべき習慣が疎かにされて、同時にそういったものを信じる心が非常識と謳われる世界に変わりつつあると、そういった感性、思想を大切にする、継承することの希少性が上がると信じています。

つまりは、機会です。

おかしいことはおかしいと思える完成を維持する

どんな状況であれ、臨機応変さ、柔軟さは維持しつつも、おかしい、非常識だと感じられる心は大切に維持したいと思います。

年齢を重ねるごとにいろいろな事象に興味や面白みを感じているので、その心も大切にしながら、不可抗力を覆し生きていきたいですね。

次回「人生とは選択の連続であること」について綴っていきたいと思います。

また、同時にYouTubeでもこういった第三の目、千里眼のような視座の違いについてのポッドキャストもどきもぽつぽつと投稿していきたいと思います。

マイペースに着実に進めていきます。

さいごに

やはり、継続は力なりであったり、言い伝えられる事象にはある程度の根拠や法則が見いだせるものですね。

諦めずに足踏みし続け、少しでも前進していきます。

また会う日まで、アディオス。

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その発言は”誰”がしているのか?https://eisukenakanishi.com/2024/09/16/that-post-is-by-who/Mon, 16 Sep 2024 11:19:40 +0000https://eisukenakanishi.com/?p=575

はじめに 皆さんは最近SNSやインターネット上で発信していますか? 発信活動を行うとその量や質に関係なくアンチコメントであったり、自身にとって心地の良い意見であったりコメントをもらったりする場面に遭遇すると思います。 今 ... ]]>

はじめに

皆さんは最近SNSやインターネット上で発信していますか?

発信活動を行うとその量や質に関係なくアンチコメントであったり、自身にとって心地の良い意見であったりコメントをもらったりする場面に遭遇すると思います。

今回はそういった発言やコメントの良い悪い含めてどういった点に気をつけながら見極めていくのかを自分なりに解析した内容について軽くメモしておきたいと思います。

良いコメントに潜むリスク

良いコメント、応援コメント、肯定的なコメント等は一般的に自身にとってはとても心地の良いものです。
ただ、その発言は一体どういった人物がどういった意図で行っているのかをしっかりと見極める力も必要であると考えています。

なぜなら、あなたに対してなにかお願い事があるのか?はたまた、陥れたくて言っているのか?または皮肉として言っているのか?罠にはめようとして愛想の良い表現を使っているのか?など常に誰がコメントしているのか?どういった人物なのかは念頭に置きながらインプットしなくてはいけないと考えています。

そして結論として大半が誰が発言しているかの特定も、検討も難しいので、SNS上でのコメントや意見はかなり距離をおいて閲覧を心がけるように僕は気をつけています。

肯定的なコメントは自身の偏りを加速させ、一歩間違えると誤った思考や思想がただ強まってしまう可能性が高まることを常に危惧しています。

このあとに続く否定的なコメントについてでも書きますが、結局どこのどちら様が書いたかもわからないようなコメントや意見に心を揺さぶられるほど虚しくしんどいものはないです。

当事者になるとその部分が曇ってきてしまうので、常にそういった意識を念頭に置きながら現代は生きないといけないのかなと辛く感じてしまうときもありますが、気を抜いて沈むよりはいいかなと僕は考えています。

悪いコメントに潜むリスク

オリンピックなどでも話題になりましたが、意外と身近な人間が否定的なコメントや心理的攻撃を仕掛けてきている事象と言ったものは決して珍しいものではありません。

ネガティブと感じてしまうコメントは基本的にクローズするのが吉です。

YouTubeなどはコメントを開けておかないと収益化ができないなどの縛りがありますが、ビジネスモデルとしてYouTube一本で検討しているのであればコメントとの向き合い方は考えなくてはいけませんが、そうでないのであればクローズが大吉です。

否定的なコメントは基本的に誰が発言したかもわからないものなので、そういったものはシャットアウトするに限ります。

さいごに

「かっこいいね」、「かわいいね」といった見た目に対しての肯定的なコメントや「頭いいね」「お金持ちそう」「モテそう」「すごい!」といった肯定的なコメントはそのコメント欲しさに無謀な投稿や発言を繰り返してしまうきっかけになりかねません。

そういった表現は一体どこの誰がどういった目的で行っているのかをしっかりと念頭に置きながら、驕らずに素直に自分自身は生きられるよう心がけたいと思います。

なかなか自分自身を客観視して落ち着いた視点で見ることは難しいですが、引き続き意識して生活していきたいと思います。

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怒りを感じたタイミングは最高の成長の瞬間だhttps://eisukenakanishi.com/2024/09/12/the-anger-is-the-time/Thu, 12 Sep 2024 12:44:02 +0000https://eisukenakanishi.com/?p=568

はじめに こんにちは、皆さんはどういったときに怒りを覚え、また怒りを覚えたあとの行動としてどのようなものがありますでしょうか? 例えば暴力を遂行し、その後自暴自棄になるであったり、怒りを覚えたあとはその感情を抑え込むため ... ]]>

はじめに

こんにちは、皆さんはどういったときに怒りを覚え、また怒りを覚えたあとの行動としてどのようなものがありますでしょうか?
例えば暴力を遂行し、その後自暴自棄になるであったり、怒りを覚えたあとはその感情を抑え込むために一人になりたくなるといったように人によって、または状況や事情によって変わってくると思います。

僕は最近大きな怒りを感じ、その怒りをきっかけに大きく成長できるチャンスを掴みました。
今回は怒りを感じることは悪いことばかりでもなく、ピンチはチャンス、またはその怒りを大きなエネルギーに変えることで、自身の成長に大きく貢献させることができたことについて軽くメモしておこうと思い筆を執りました。

怒りのきっかけ

まず今回僕は怒りのきっかけが1つあり、そのきっかけを踏まえて2つの軸で成長を決意し成長することに成功しています。
1つは禁煙です。禁煙は今まで幾度となく挑戦してきましたが、失敗の繰り返しでした。しかし今回すでに不快に感じる地点まで到達しており、爽快な日々を過ごしています。

2つ目は今のメインの受託案件をサブに回すための本事業を自社で発足させる決意がついたことです。
現在メインの受託案件として頂いてる内容に不満があるわけでもないですし、継続して受託いただけるのであれば継続するつもりです。

ただ、今回の怒りのきっかけを元に、怒りを与えた事象と同じパスを歩むのもリスクと感じました。
加えてせっかく自社事業を創りたいと考えていたのであれば、これを機にやってみようじゃないかと決意することができました。

まだ、微妙な速度で進んでいますが、着実に歩みを進めたいきたいと思います。

結局、自分がなりたい像と夢を持つことの重要性

結論として、1つ1つの小さな事象もそうですが、大きく夢を持つことは悪いことではないと思いますし、自身に好きがあるといった事象は本当に幸せの極みなんだなと改めて噛み締めています。

夢がないとか、夢ってなんだろうといった悩みだったり、必要なのか?と疑心暗鬼になる方もいたりすると思いますが、必ずしも夢を持たないといけないと言った話でもないですが、あくまで僕自身は夢を持つことで動きやすかったですといったお話です。

成長というのも禁煙とはたから見ればしょうもない成長も僕にとっては大きな成長ですし、周りがなんと言おうと、自分を信じてあげることの大切さのほうが何百倍もそして唯一無二に大切です。

自分がまずは満足できる自分になってあげることが今の僕にとってはとても重要なことです。

久しぶりに文章を書いたので、なんだか拙いものですが、最後まで読んでいただきありがとうございます。

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生きづらくなったら一度立ち止まるってのはすごく贅沢な話なのかもしれないhttps://eisukenakanishi.com/2024/07/16/stop-and-think/Tue, 16 Jul 2024 14:30:46 +0000https://eisukenakanishi.com/?p=562

はじめに 人生生きづらくなったときに休んでいいんだよ、と言ってもらえる、自分自身に言える環境というのはとても贅沢な環境なのかもしれない、といった話についての気づきを自分なりに整理する殴り書き程度の読み物です。 立ち止まる ... ]]>

はじめに

人生生きづらくなったときに休んでいいんだよ、と言ってもらえる、自分自身に言える環境というのはとても贅沢な環境なのかもしれない、といった話についての気づきを自分なりに整理する殴り書き程度の読み物です。

立ち止まることができる、期限はとりあえず決めずに、そんな贅沢な時間を過去に経験したのであれば日銭をどのようにするかなども考えなくていいのかもしれないです。
ただ、そういった環境は実はとても贅沢であり、周りのお陰で実施できていることなのかもしれないと、感謝をするきっかけになるかもしれません。

今回は立ち止まること、その際に何を決めるかだけは決めて立ち止まる、休憩することも長い荒い道なりを乗り越えるためにも必要なスキルなのかもしれないと考えています。

何かを決めて立ち止まる、そのなにか

期限とやらないことを決める、そう自分自身はいつも決めて立ち止まります。

やることを決めるのではなく、やらないことを決めるのには理由があります。
自分自身が止まるきっかけになったものがネガティブ起因であれば何かをやったから、不得意なことを?または慣れていないことを?やったゆえに止まってしまった、回復のために必要な休息が発生したと考えると、その事象をやらない、またはその原因を起こさないためにやらないことを決めるといったことは実施するようにしています。

あとはいつまで立ち止まっていいのかを1週間、3週間と奇数単位で決めています。

逃げるのではない、チューニングである

逃げるというのはすごく加害者視点の発言です。
かといって加害者の対義語である被害者の話をしているわけでもありません。

二択の世界ではなく、相反する状況での自分をチューニングする時間と術を手に入れているだけです。

チューニングはいついかなる時も大事です。
自分自身の機嫌、アンガーマネジメントすべてにおいてチューニングが必要です。

壊さないように、そして自身の夢にために一瞬の感情に乱れに流されないように気をつけたいと思います。

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自分と向き合う時間も場所も必要https://eisukenakanishi.com/2024/06/13/time-to-look-against-you/Thu, 13 Jun 2024 14:52:42 +0000https://eisukenakanishi.com/?p=553

はじめに 一人になって不安に感じたり、逆に一人になることで快感を得たり、その捉え方は人によって違ったり、時と場合によって前者であったり、後者であったりすると思います。僕は自分と向き合う時間が特に必要なタイプで、急激に一人 ... ]]>

はじめに

一人になって不安に感じたり、逆に一人になることで快感を得たり、その捉え方は人によって違ったり、時と場合によって前者であったり、後者であったりすると思います。
僕は自分と向き合う時間が特に必要なタイプで、急激に一人になりたくなる瞬間があります。

そういった時間をどのような事柄に使っているのかなどを書きなぐりで記していきたいと思います。

一人で自由気ままに・・・ではなく、ストイックに

ストイックとかかっこいいから言いたかっただけ、なフレーズです。
実際には自由気ままにではありませんが、一週間をぽけーっと振り返ってみたり、部屋の模様替えをしてみたり、なんかこの前見た本あったよなー、なんだっけな?ととりあえずアマゾンのカートに追加しておいたり、一人だからこそある意味気ままにだけど自身のために整理をすることができます。

そして僕はこの自身の整理をする時間がないとゴミ屋敷な脳内になってしまい非常に短気になります。

人によってはこういった一人になることで気付けること、整理できることあると思いますので、もし最近すぐにイライラしやすいなど感じる方は一度自身の状態をメモ帳に整理して書き出してみるといった行動を実施してみるとまた新たな景色と自身が見えてくるかもしれません。

ふとブログを書かないと、でも何を書こうかな?と思ったのでまずは書いてみる、といった行動を取るようにしてみました。

支離滅裂でもいい、書いて公開するを目的に今回は一人になることで整理できる事柄もあるよね、について書きなぐってみました。

ちゃんちゃん。

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SNSにトラブル動画をアップロードする心理とリスクhttps://eisukenakanishi.com/2024/05/09/my-thoguths-on-sns-contents/Thu, 09 May 2024 11:59:35 +0000https://eisukenakanishi.com/?p=547

はじめに 昨今SNSでよく煽られた動画や、トラブルの動画を一方的にアップロードし、物議を醸したり、さらなるトラブルに巻き込まれている様子を多く見かけるようになりました。結論として、私はSNSに動画をアップロードする行為自 ... ]]>

はじめに

昨今SNSでよく煽られた動画や、トラブルの動画を一方的にアップロードし、物議を醸したり、さらなるトラブルに巻き込まれている様子を多く見かけるようになりました。
結論として、私はSNSに動画をアップロードする行為自体も立派な迷惑行為であり、肖像権の侵害なども含めて非常に卑怯なやり方だなと考えています。

動画として記録することは正しいこと

何かしらトラブルに巻き込まれた際に、動画であったり写真として記録することは非常に重要なことであり、行動だと考えています。
なぜなら、警察に被害届を出す際に自身の記憶と違った情報を渡してしまったり、車のトラブルであれば相手方のナンバーを忘れてしまうような事態を避けられるからです。

ただ、昨今のSNS界隈を見ていると、自身の一方的な意見とともにそういった動画を公開している人が多くいることに懸念感と卑怯な手口だと感じてしまいます。

喧嘩両成敗

喧嘩両成敗といった言葉の示す通り、喧嘩やトラブルがあった場合必ず仲介者であったり部外者は両者の意見を聞くべきだと考えています。
その結果どちらかが原因を作っていたことも判明しますし、なぜ両者間でのトラブルまでに発展したのかも客観的に分析できます。

加えて、それぞれの言い分を聞くことがフェアでありますし、片方の意見だけ聞いて決めつけることほど愚かなことはないと考えています。

両者にはそれぞれ理由があり、両者ともそれぞれ違う人間故に感性も違います。

場合によっては喧嘩両成敗の文字のごとくどちらも処罰される必要がある結果にもなり得ます。

SNSにアップするのは自己満足と承認欲求でしかない

例えば、自分の家族が失踪しています、車が盗難されましたといった自身の問題と深く繋がりがあるものに対しては、SNSを活用するべきだと考えます。
ただ、「こいつに煽られた、場所特定して懲らしめてやろう」のようなコンテンツは「だからトラブルに発展したのでは?」と思わざるを得ません。

SNSには偏りがありますし、そのようなコンテンツをゴシップネタと同様に娯楽として扱う人々も多いです。

そのような空間に投稿することにより負うリスクは非常に高いと感じます。故にそういったコンテンツを軽々しくインターネットといった空間に共有するのはやはりリテラシーであったり、学の欠落を感じざるを得ません。

正しい送信先に正しく届ける

万が一トラブルになり動画を取った際は、警察に相談をするのが最適です。
また、裁判沙汰にしたいのであれば、きちんと保管するべきです。

SNSに投稿することに、肖像権で訴えられますし、そもそもなぜ現場で警察官を呼ばなかったのか?呼べなかったのなら、すぐに警察署に向かうべきです。
警察は機能していないというのであれば、きちんと説明すべきことを整理し、自分はどうしたいのかを明確にするべきです。

ただ謝罪がほしいでは全く意味がないです。

公的機関を活用し、必要に応じて相談の結果弁護士さんに共有することで、トラブルによって負ってしまった傷、破損、被害を回収しましょう。

安易にSNSに共有することは、つまりあなたがトラブルの原因ですよと私は感じてしまうことが多いです。
適切にスマートに感情に流されるような行動は自戒の意も込めて慎みたいと思います。

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