AsKhttps://eisukenakanishi.comソフトウェアと車に恋する好奇心バカMon, 17 Feb 2025 13:21:44 +0000jahourly1https://eisukenakanishi.com/wp-content/uploads/2023/05/cropped-askstudio-32x32.pngAsKhttps://eisukenakanishi.com3232 167041265喫煙の禁断症状は尿意と同じhttps://eisukenakanishi.com/2025/02/17/the-emotion-and-feeling-of-smoking-is-like/Mon, 17 Feb 2025 13:21:43 +0000https://eisukenakanishi.com/?p=664

はじめに 「喫煙の禁断症状は尿意である」、いざ喫煙をやめるとあのときの感情は非喫煙者からするとどのように表現できるのだろう?と考える瞬間があります。 どうでもいい、しょうもないトピックかもしれないけど、そんな小さなどうで ... ]]>

はじめに

喫煙の禁断症状は尿意である」、いざ喫煙をやめるとあのときの感情は非喫煙者からするとどのように表現できるのだろう?と考える瞬間があります。

どうでもいい、しょうもないトピックかもしれないけど、そんな小さなどうでもいいことを考えて、真剣に今日もいきたいと思います。

集中力の糸

禁断症状はいわゆる尿意と同じで、排尿しない限りずっとお手洗いが頭に居座り、それまで集中していた糸がぷつりと切れてしまい、排尿というアクションを取らない限り一生拭うことのできない支配力であると感じています。

そして、いわゆる集中していた糸がぷつんと切れてしまうことがどれだけ非効率化は非喫煙者はわかっているし、同時に非喫煙者からするとそのマインドを理解することは不可能であると。

私はよく喫煙者と非喫煙者は相容れない関係性だと考えているが、どちらも経験した身からすれば、それは経験したからこそわかる境地であり、経験していない人はあーだこーだ言うのは簡単であることもなんとなくわかってきた。

いわゆる、体験したことの強さは想像レベルとは全く違う次元であるということだ。

正社員を経験したことは偉いことでも、自慢することでもない。
だけど、正社員を悪く言うのであれば正社員やってから言ったほうが説得力あるのと同じだと思う。

正社員やってもないのに正社員のこと悪く言ってるようじゃ何も生まれない。

だからこそ、言える。

禁煙はとても大変である

禁煙は鬼のようにしんどく、その決意を維持するのはとても大変だ。

そう、そもそも始めなければいけないのだ。

だけど、始めてしまった人にそんなこと言ってもしょうがない。

禁煙も喫煙も経験して禁煙の大変さと、非喫煙の効率の良さと、解き放たれた感情に感動している。

今日も僕は尿意とだけ戦って生きていこうと思う。

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Pythonでfxの分析するコースをリリースしましたhttps://eisukenakanishi.com/2025/02/14/just-released-the-python-forex-analysis-course/Fri, 14 Feb 2025 07:25:06 +0000https://eisukenakanishi.com/?p=661

はじめに ここ数日間は季節的に花粉が舞っていて、鼻腔が圧迫されており酸素の吸引をどれだけ効率化できるかを考える日々が続いています。 やはり世の中で販売されている空気清浄機は効果があるらしく、気持ち試してみたいです。 今回 ... ]]>

はじめに

ここ数日間は季節的に花粉が舞っていて、鼻腔が圧迫されており酸素の吸引をどれだけ効率化できるかを考える日々が続いています。

やはり世の中で販売されている空気清浄機は効果があるらしく、気持ち試してみたいです。

今回は自身が使ったり、また自身のさらなる学びのためにfxの分析をPythonで実践するコースをnoteでリリースしました。

基本的にはそういったお話なのですが、今後の展望も含めてお伝えできればなと思います。

コースの概要

コースの概要としては、30手法を10回に分けて毎回3手法ずつお伝えしていきます。

まずはその手法の概要をお伝えしながら、その後に有料コンテンツとして実際のスクリプトと使い方について記しています。

手法とPythonの勉強を1回で行えるといったところが魅力として挙げられるかと思います。

それ以外は本当に趣味の範囲プラスアルファのお話なので気になったらぜひ見に行ってみてください。

ここから飛べます。

単体でも購入できますし、リンク先にあるマガジンで10冊一括購入もできます。

一括の利点は1冊分無料で買えるといった点になります。

今後の展望

自身は情報商材といったものにあまり興味がなく、自身が販売することなど実は考えてもいませんでした。

ただ現実で会話させていただいている信頼できる仕事の先輩だったり、教え子たちから「ぜひコンテンツ化してほしい」といった声を聞くことで、ようやく?やってみるか、ものは試しようだ!と書く気になりました。

情報は作る側で売る側はあまり興味も魅力も感じていなかったのですが、せっかくやるなら情報を作れるのだし、尖った高精度な質のコンテンツを販売しようと考え、最近は仕事の時間として組み込んで実装しています。

今後の展望は動画の教材といった点から映像での実装も含めて作っていこうと考えています。

さいごに

自身のパスは常に変わったりすることを前提に日々考えながら、どう生きたいか、そしてどう死にたいかを考えながら生きていきたいと思います。

親や兄弟や子孫に恥じない生き様はしたいなと常に心に留めておきながら過ごしたいですね。

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プログレッション – 2025年1月https://eisukenakanishi.com/2025/01/31/2025-jan-progression/Thu, 30 Jan 2025 23:53:00 +0000https://eisukenakanishi.com/?p=656

はじめに 2025年も1月が終わろうとしています。今月を振り返って2月に活かしていきたいと思います。 振り返りの会ですね。 ゴール設定 まず今月のゴール設定として、ゴール設定をしていなかったことが第一の敗因です。ゴール設 ... ]]>

はじめに

2025年も1月が終わろうとしています。今月を振り返って2月に活かしていきたいと思います。

振り返りの会ですね。

ゴール設定

まず今月のゴール設定として、ゴール設定をしていなかったことが第一の敗因です。
ゴール設定を曖昧な状態でスタートしてしまったことは改善の余地が大いにあると考えています。

その上でゴールは、いくつかのプロジェクトを起動することを設定し、途中からオンボードした形になります。

SNSを控えめに、そして投稿内容はバカげたものに、そんなコンセプトで水面下活動を多めに行いました。

加えて、ツイートするならブログを書くことをポリシーとして少しずつ起動させていけたかなと感じています。

また、noteの方で各テキストのリリースを実施し、現在も順番にリリースできていることは予定通り且つ、有言実行できたと自負しています。

その他共有事項

動画教材のリリース並びに制作が遅延している点は、来月活かしていきたいと思います。

また、新プロジェクトを始動させるための下準備もしっかりと継続して実施していきたいと思います。

使うツールも減らし、できるだけ一箇所にまとめて管理できるように整理整頓して取り組んでいこうと思います。

現在はObsidianに統合して、管理していけるように進めています。

また、VTR Magazineといった概念のものを知ることができたので、映像でのマガジンといったコンセプトの研究も軽く頭の片隅においておこうと思います。

加えて、Blenderの方もちまちまと始めていければと考えているので、少しずつ取り組み計画を遂行できればなと考えています。

経営としては弊社赤字続きなので、どう黒字化するのかを視野に入れながら、経営といった視点からも立ち直していければと考えています。

まったくもって経営していないwww

さいごに

2月は短いが稼働営業日は世間的には変わらないと捉えています。

ただひたすら今回設定したゴールを粛々と進めていきます。

SNSは更に離れていければと考えていますし、動画教材のリリースと自身の好奇心を満たしながら、趣味の方も少しずつ進めていこうと考えています。

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バミリの言葉の語源を知った元バンドマンhttps://eisukenakanishi.com/2025/01/30/the-root-of-bamiri/Thu, 30 Jan 2025 00:00:00 +0000https://eisukenakanishi.com/?p=646

はじめに 皆さんはステージなどで足元に緑色のテープがバツ印で貼ってあり、ここに立ってくださいねーと係の人に指示されたり、ステージ上を貼り巡るケーブル類が同じように緑色のテープできれいに止められているのを見たことはあります ... ]]>

はじめに

皆さんはステージなどで足元に緑色のテープがバツ印で貼ってあり、ここに立ってくださいねーと係の人に指示されたり、ステージ上を貼り巡るケーブル類が同じように緑色のテープできれいに止められているのを見たことはありますでしょうか?

私はもともとバンドで活動していた際に、こういった「バミリ」と呼ばれる行為を頻繁に見ていました。

バミリに使われるのは一般的に養生テープと呼ばれるガムテープとは違い粘着力が弱く、様々な色のバリエーションがあるものです。

つい最近まで何気なく使っていたこの「バミリ」といった言葉を、ふと何が語源なのか気になり調べることにしました。

そんな、私個人の小さな本当にどうでもいい発見のお話です。

場を見る・場と印

バミリの語源は「場」と「印」を組み合わせた言葉が語源と言われているそうです。

演劇や歌舞伎などの演劇業界が発祥の業界で、立ち位置であったり各楽器の置き場所の印として使われる言葉だそうです。

バミリは同時に「場を見る」が変化し「場見る」->「バミる」->「バミリ」になったと言われており、ステージの転換作業の際などにどこに何を置くのかを一目でわかるようにバミリがつけられることが語源でもあると言われています。

確かに語源としての場を見る、場と印などから言葉は生まれているのだなといったところが想像できて、また新たな学びがあった一日でした。

人間不思議と流してしまう疑問もたまには拾ってあげて突き詰めてあげたいですね。

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日本から出れば普通になれる、それじゃあつまんねえよな?https://eisukenakanishi.com/2025/01/29/getting-out-from-japan-is-boring-solution/Wed, 29 Jan 2025 14:21:34 +0000https://eisukenakanishi.com/?p=650

はじめに 先日このような記事を目にしました。 すごくタッチーな、いわゆる私にとっては響く内容でした。詳しくは見てもらうのが一番早いですが、どこが?といった点を軽く抽出すると、日本の教育への適応できなかった点、内容は同じで ... ]]>

はじめに

先日このような記事を目にしました。

すごくタッチーな、いわゆる私にとっては響く内容でした。
詳しくは見てもらうのが一番早いですが、どこが?といった点を軽く抽出すると、日本の教育への適応できなかった点、内容は同じでも教え方が違う教育、答えがないお題への考えと提案力、頭がいいけど英語は喋れませんな人は使い物にならないといったこれらの部分は非常に共感できるものであり、加えて、アメリカに行けば私にぴったりな方法ですぐに適応できるでしょう、といったことです。

ただ、この記事が私に与えた一番の大きなインパクトは今の自分の道を更に歩んでみたくなったという点です。

どういったことなのかをエモく書いていきたいと思います。

普通になりたかったけど、それは過去の話

昔から、なぜ自分だけ扱いが違うのか?自分だけのけ者にされるのか?異端児のような腫れ物扱いされるのか?

ずっと疑問で、ずっと悩んでいました。そして、同時に彼らにはないものを自分は持っていて、私は自分のないスキルや考えに対してリスペクト心を持っていたのですが、相手からするとただの目障りな点や、自分の立場が危うくなるいわゆる妬みの対象だったことを後々知ることが多分にありました。

そして、私はずっと海外に帰りたいといった表現をしていました。

海外に帰って「普通に」生きたい、といった願望を強く持っていました。

日本を変えるためには日本国内にいるのが一番いい

リモートが活性化する世の中ですが、いわゆる対面での強み、温度感は何者にも変えられません。

私は日本をもっと良くしたい、日本の産業としてハードウェアをどうソフトウェアと融合し、エキサイティングな世の中にしていくかを自身の最適解で挑戦したいのです。

そうなると、アメリカに行けば僕はすんなり”普通”になれるけど、日本を変えるためにも日本でおかしいやつが変えていかないといけないやつだよな。といったことに気づきます。

そう、僕は日本でこの居心地の悪い世界で革命を起こしてやるといった目論見で水面下で生きてきていますが、それで良かったんだよ、と改めて感じています。

常に自分を信じて

常に自分を信じてあげてください。

なんであろうと、自分を労ってあげられるのは自分だけです。

負けじと本日も頑張っていきたいと思います。

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あなたはいつも自分が正しいと思っている!この言葉が僕は苦手だ。https://eisukenakanishi.com/2025/01/29/you-always-think-you-are-right/Wed, 29 Jan 2025 01:30:21 +0000https://eisukenakanishi.com/?p=642

はじめに 人と議論や会話をする際に、相手が激昂し「あなたはいつも自分が正しいと思っている!」と私があなたの意見を否定/間違いだとしている表現をされることがたまにあります。 私はこの「自分が正しい」といった表現はあまり好き ... ]]>

はじめに

人と議論や会話をする際に、相手が激昂し「あなたはいつも自分が正しいと思っている!」と私があなたの意見を否定/間違いだとしている表現をされることがたまにあります。

私はこの「自分が正しい」といった表現はあまり好きではなく、より良い解決法があるのではないか?または表現として、そして対策としてこのようなものがあるのではないかと感じたので筆を執りました。

自分は正しい

私は自分が正しいと思っています!と私は思っていません。
ただ、私の意見と信念はあります。その信念が相手からすると自分の正しさと表現されるのかもしれません。

例えば相手がいる際の議論では私は〇〇だと思う、といった意見に対して「私は真逆の〇〇だと思う」といった意見が出てきます。

その際にどちらを採用するのか?といった提案になるとAかBの選択肢どちらからしか選択してはいけない、のような状態になります。

ただ、お互い譲れない部分が〇〇の部分にあった場合、当事者同士の最適解を導き出すのがタスクとして挙げられると考えています。

つまり、真逆の意見に対して「あなたは自分が正しいと思っている!」といった発言は適切ではなく、同様にあなたも自身の意見があり、その意見は人生のバックグラウンドであったり、自身の倫理観がルーツとなっています。

なので、「あなたが正しいと思っている」があって当然ですし、それは押し付けているものでなく、意見・信念なのでそれを元にお互いの妥協点、最適解を導き出すのがある意味正解なのではないでしょうか?

二択ではろくな結論が出ない

二択での解決策は大抵ろくな結論が出ません。

AかBか?YesかNoか?上か下か?

そのような解決策や提案は非常に拙い結末を導きます。

せっかく当事者同士がいるのであれば豊富なバラエティに富んだ解決策が出てきても良いものです。

対話ができることは非常にいいことですし、恵まれた環境です。対話ができる状態での二択解決方法はあまりおすすめしませんし、長続きする解決策は導き出されないことが多かった印象です。

それよりも、お互いの信念を元にお互いの最適解を都度見つけることが結果としてコスパ、タイパともに有益かつ永続的な手段と考えています。

さいごに

言語の壁や言語の構成能力によって、意見の食い違いや考え方の相違が見えることも多分にありますが、そういった部分も含めて、更に自分自身のことも磨きをかけていきたいと思います。

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怒りの感情はとても尊いhttps://eisukenakanishi.com/2025/01/18/the-anger-is-precious/Sat, 18 Jan 2025 01:53:30 +0000https://eisukenakanishi.com/?p=634

はじめに 人生を短くも長らく生きていて、自身がなぜここまで来ているのかを振り返った時に怒りの感情に強く背中を押してもらったなと感じることが多いです。 そう考えると怒りといった感情は昨今アンガーマネジメントのように抑える、 ... ]]>

はじめに

人生を短くも長らく生きていて、自身がなぜここまで来ているのかを振り返った時に怒りの感情に強く背中を押してもらったなと感じることが多いです。

そう考えると怒りといった感情は昨今アンガーマネジメントのように抑える、コントロールすることが大事であると言われていますが、それ以外の喜怒哀楽の残りの3つに関してコントロールは不要なのでしょうか?

そう考え始めるとコントロールが必要なのはすべての感情に対してで、怒りは特に顕著にわかりやすく人に伝わる、傷つけると考えられているからそのように囁かれるのか気になるところです。

自身が怒りといった感情に重きを出しつつも、その他の感情を表情としてであったり、時として行動に反映するためのエネルギーにしていたことは間違いありません。

ただ、自信から生まれる怒りといったものは非常に少なく、誰かに影響を受けて起きる感情として怒りといったものだと捉えています。
故に誰かを怒らせる人は、愚か者であり、怒ったあなたはぜひその怒りと自分のために使ってあげてほしい、そういった自身への気持として今回筆を執りました。

なぜ怒りは注目されるのか?

怒りのアウトプットとして、暴力、暴言といった他者を傷つける行為の原動力として挙げられるため、アンガーマネジメントなんていう馬鹿げた言葉が出てきたのだと考えています。

楽しさも同じようにしっかりとコントロールできないと、危険な薬物に染まり、楽しければいい!と他者を犠牲にしてでも楽しさを優先する輩が出てきます。なぜファンコントロールは言葉としてあまり定着していないのでしょうか?

怒りといった原動力はとてつもないパワーであり、そのパワーを扱えるようになるにはトレーニングや、その矛先をしっかりと定められる倫理観、道徳観が他の感情よりとてもセンスティブに必要です。

なので、世の中では怒りに対してのマネージメントは囁かれているのでしょう。

同様にいじめを受けた側は怒り、哀しみといった感情を多く持ちます。故に成功した人に多い過去に壮絶ないじめを受けていたと行った話がよく出てくるのだと感じています。

人を怒らせるやつは馬鹿だ

昔明石家さんまさんがテレビで「俺は怒らない、人を怒らせるやつはろくでもない」のようなニュアンスの表現をされていて、本音だろうとテレビ上の演出だろうと私にとってはどちらでもいいのですが、気づきがありました。

人を怒らせるやつはろくでもない、馬鹿だといった観点は確かに!と感じたと同時に、ありがたい!と感じるようになりました。

なぜなら怒りはとてもつもないパワーでそのパワーを使って自分を鍛え上げられるからです。ある種時の部屋に強制送還されたような感覚です。

なので、最近は怒りを感じた時にそのパワーを怒らせたやつではなく、自分にぶつけることでとても効率よく、集中力高く成果につながるワークに注げるイメージです。

いずれにせよ

喜怒哀楽、これらのバランスと自身の状態は常に見ておきたいですし、怒りといった感情も尊い!と感じれば、その恩恵にあやかれる。

物事はどこから見るか、どう受け取るかで己のエネルギーにも変わるし、ただの消費になることもあります。
自分も完璧とは程遠いですが、日々修行ですな〜と感じる日々です。

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投稿主の前提心理として「SNSのフォロワーは自分のことを知っている」から考えてみるhttps://eisukenakanishi.com/2024/12/10/the-sns-followers-know-you-but-you-do-not/Mon, 09 Dec 2024 15:43:31 +0000https://eisukenakanishi.com/?p=590

はじめに 世の中には、何気なくSNSというインターネットの大海に近い将来必ず後悔するマーキングをしてしまう人が一定数いることがとても興味深いです。 例えば実在する誰かの悪口であったり、名前は知らないけど町中で感情的になっ ... ]]>

はじめに

世の中には、何気なくSNSというインターネットの大海に近い将来必ず後悔するマーキングをしてしまう人が一定数いることがとても興味深いです。

例えば実在する誰かの悪口であったり、名前は知らないけど町中で感情的になった相手へのぐちであったり、内容は様々でありますし、表現手法も様々です。
文字ベースの場合は読み手の想像に任せる部分も多かれ少なかれありますが、画像や動画の場合は文字以上に伝わってくる情報が多い故に更に誤解や認識齟齬が発生しやすい表現方法です。

大前提、何かしらインターネットの大海原に爆弾やマーキングを行う際は、いったどこの誰がそのコンテンツを取得できるのか?
権限的な観点から、読み手は一体どのような人々なのかをしっかりと認識する必要がありますよね。

今回は投稿主の投稿は基本的に読みてからした場合投稿主と投稿内容がセットで受け取られるといった前提条件があるとした場合のお話をしたいと思います。

投稿主と投稿内容はニコイチ

投稿主と投稿内容は切っても切れない縁でつながっています。
先天的な要素、例えば性別がどっちだから、この人は学歴がXだから、両親がYだから、といったバイアスがかかった投稿内容になります。

なので、同じ投稿内容でも”誰”が投稿したかで受け取り手側からの批判であったり、称賛が真逆に作用することは大いに有り得ることです。

例えば飛行機のファーストクラスに乗りました、をTHEマダムな身なりでブランドで固めて、メイクバッチリ、加工バリバリでアップした場合と、ツートーンの質素な身なりで、投稿主の顔は映らず、座席の足元がとても広いといったコメント付きでアップされた場合、世論の反応は違ってくるかと考えられます。

インターネットの大海原に自身の意見をマーキングする際は、常に自分の座標と軸を明確にしたうえで客観的に投稿内容をレビューする力があったほうが生きやすい世の中になるような気がします。

さいごに

ふと、誰が投稿したかによってこんなにも世論の反応は違ってくるのか!と強く感じた瞬間があったので、一つネタとして取り上げました。

自身も大げさに言えばブランディングを意識しながらインターネットの大海原を安全第一で航海したいものですね。

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他人と比較することは愚かなのかもしれない@令和https://eisukenakanishi.com/2024/12/03/compare-with-yesterdays-yourself/Tue, 03 Dec 2024 14:30:09 +0000https://eisukenakanishi.com/?p=613

はじめに 生きている中で、絶対評価であったり、相対評価といった言葉に出会うことがあっただろうか? 小学生や中学生の時に時代によっては相対評価、時代によっては絶対評価だったというのは世代によって違いがあると思います。 今回 ... ]]>

はじめに

生きている中で、絶対評価であったり、相対評価といった言葉に出会うことがあっただろうか?

小学生や中学生の時に時代によっては相対評価、時代によっては絶対評価だったというのは世代によって違いがあると思います。

今回はそういった外的要因での絶対評価、相対評価のお話ではなく、社会に出たあとの自分との付き合い方について少し整理してみようと思います。

社会に出たら絶対は自分のみ

社会に出ると、私事に対して良いことを言う人もいれば、良いことを貶めるために言ってくる人もいれば、悪いことを気分で言う人もいれば、悪いことを裏の意味を込めて言う人もいます。

絶対的にその発言や言葉を処理できるのは己のみです。
そういった世の中で他者からの意見や、言葉を蔑ろにしろといった意味ではなく、他者からの言葉をどのように己の中で処理するのかを考える際に、頼りになるのは己だけであることをぜひ意識してほしいといったところが今回のお話になります。

自身の評価は絶対評価でいきましょう

社会に出て、評価を下すのは他者であることが多いと思います。自分ではAが正しい、Aをやった認識でいても周りはBが正しく、Bをやった人が正解で、Aをやった自分は間違いであり、仕事ができない人と認定されることもあります。

私は自身の客観的評価もしっかりと受け止めつつ、自身が過去と比較して成長したところを必ず振り返るようにしています。

他者と比較してもいいことはありません。あくまで自分の成長を確認しつつ、他者との比較は占いより当てにならない参考程度にしようといつも決めています。

ただ、自分が成長したい分野で秀でている人と自分の位置は常に比較するようにはしています。
人と比較して自分が下だと落ち込むことは私にとっては少なくともメリットではないから、自分ができないところを自分を落ち込ませるためにわざわざ比較する必要はないです。

さいごに

令和の時代は絶対己評価が有益であると結論付けたい。

そして、個が活躍するためにも前例がないことをどんどんやっていけるマインドを維持するためには、絶対評価こそが正義と信じています。

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建設的な議論はSNS上でも可能なのか?https://eisukenakanishi.com/2024/11/26/constructive-discussion-on-the-internet/Tue, 26 Nov 2024 10:05:03 +0000https://eisukenakanishi.com/?p=616

はじめに ニュースで目に入ったこの「SNS上での誹謗中傷が激化」の文言が気になり、筆を執ることにしました。 そして、同様にSNS上で建設的な議論は可能なのかを考えてみたいと思いました。 結論から考えてみる 結論、SNS上 ... ]]>

はじめに

ニュースで目に入ったこの「SNS上での誹謗中傷が激化」の文言が気になり、筆を執ることにしました。

そして、同様にSNS上で建設的な議論は可能なのかを考えてみたいと思いました。

結論から考えてみる

結論、SNS上でも議論は可能だと考えています。

ただ、一般的なSNS上での議論のハードルは非常に高いので、その理由を以下につらつらと書いていきたいと思います。

なぜインターネット上での議論のハードルは高いのか

皆さんは国境を超えると文化が違うと言った表現や、実際に国境を超えたことで自国では通じていた常識が通じない人に出会ったことはありませんか?

もちろん、国内でも同様のケースに遭遇することは多分にあると思います。

例として、車社会でなんでこういう動きをできるのだろう?なぜトラブルになった時に話が通じないのだろう?と疑問に感じたり、実際にそういった事象が原因で事故の処理がスムーズに進まなかったりしたことはありませんか?

1つ公共交通機関に乗り込めば、自己中心的に席を取ろうとするものや、足を大きく広げて威嚇的な人間に遭遇することも1つ自分とは違った常識の持ち主なんだろうなと感じる一場面であると考えています。

そういった自分と価値観が大小関わらず違った人が参加している世界がSNSでもあると考えています。

そして、自身の本当の姿をIDとアイコン、プロフィールなどで隠すこともできる状態で1つのお題に対して建設的な議論を行うことは非常に難しいです。

なぜなら、対象となる議論に本気で取り組んでいるのか?また、自身の情報はどこからどこまでが本当なのか?同時に自身の情報はどこからどこまで開示して議論に参加するべきなのか?そういったボーダーが国境よりも曖昧で、匿名性を保ちたい人、オープンに議論したい人、ストレスのはけ口にしたい人といった前提条件が他と齟齬が発生している状況で始まっても建設的な議論はできないと感じています。

ただ、そういった議論、建設的でな議論から得られるものもあると考えています。

SNSは一般的にオープンであり、アクセスすることができれば誰でも参加できるといった利点と特徴があります。

故に以下のような状況、環境整備を行えばインターネット上での建設的な議論は可能であると考えています。

インターネット上でクローズドな環境を作る

結論としてはインターネット上にクローズドな環境を作りそこで議論を行うことが一番生産性高く、建設的な議論を可能としてくれると考えています。

例えば有料会員制にしたり、参加するための条件を提示した上でログイン、招待状を受け取れる等の仕組みを作れば、可能だと考えています。

本当にそのお題に対して真剣であれば、対価を支払うことに躊躇はないはずです。

こういったクローズドな環境は思想として偏りが生まれる場合もありますが、SNS上での議論よりも無意味な無駄がなく、ノイズを削減した芯の部分での議論が可能であると言ったところは非常に興味深いと感じます。

ディベートの大会なども、目的が明確であるためにSNS上で散見する人格否定や、本題と全く関係のない無意味なコメントが発生しない理由です。

さいごに

何を持って有益なのか、無益なのかを判断するのは最終時点での行動です。

大事なのはその知識をインプットしたり、意見を傾聴するプロセスで無駄なストレスや自身の尊厳を踏みにじられるようなことはあってはならないということです。

学校のクラスに1人、自分とは合わないやつがいるよりも更に高確率で自分と合わない人がいるのが社会であり、インターネット上での常識になってきます。

目の前にいる人や、事象を優先し、たまに息抜きや刺激を求めてSNSやインターネットの世界に参加するのも1つ、今のVUCAの時代を生きるための術なのかもしれませんね。

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