AsKhttps://eisukenakanishi.com好奇心 / 理論 / 構築 / 車 / ソフトウェアTue, 12 Nov 2024 13:33:15 +0000jahourly1https://eisukenakanishi.com/wp-content/uploads/2023/05/cropped-askstudio-32x32.pngAsKhttps://eisukenakanishi.com3232 167041265本当に好きなモノ・人がある人は周りが気にならないhttps://eisukenakanishi.com/2024/11/12/things-you-love-doesnt-care-about-the-others/Tue, 12 Nov 2024 13:33:03 +0000https://eisukenakanishi.com/?p=584

はじめに 本当に好きな人なら相手に合わせず頑張れるが、みんなに合わせて生きていると本気なやつには必ず負ける。 そういった心理と信念があると考えている昨今です。どうも、こんにちは。 最近は、入店する際に挨拶しないのが普通な ... ]]>

はじめに

本当に好きな人なら相手に合わせず頑張れるが、みんなに合わせて生きていると本気なやつには必ず負ける。

そういった心理と信念があると考えている昨今です。どうも、こんにちは。

最近は、入店する際に挨拶しないのが普通なんでしょうかね?
なかなか住みづらい世の中で、逆を言えば簡単なこと一手間で評価がぐぐっと上がる時代といえばイージーな世の中とも言えようか。

今回は好きな対象物、夢中になれるものがある人は周りの意見・視線など気にしていなくて、逆にそういったものがない人が妬みで別世界へ行こうとしているあなたを引きずり落とそうとしているんではなかろうか?といった考察について筆を執ってみました。

あなたには趣味がありますか?あなたには夢がありますか?

こういった質問をすると「そんなものありません」という返答と「私には〇〇といった趣味/夢があります」といった返答があるのが一般的に考えられることかと思います。

今回は上記のどちらが正解であるかであったり、なにが正解で、間違いであるといったことを伝えたいわけではありません。

趣味や夢がある人はいますし、ない人もいます。今回はそのさらに奥の世界のお話です。

趣味の域、趣味と夢の狭間、そんな異世界に飛んでしまっている人のお話です。

仕事とはなにか?好きへの軍資金稼ぎ、だから楽しい

そしてもう一つ、問いがあります。

皆さんは仕事は好き/楽しいですか?そしてその仕事をなぜしていますか?

私は基本的に仕事の定義がよくわかっていません。人によっては生活のため、仕事が趣味なんだよ、といった回答があると思います。他の回答もあると思いますし、思いもあると思います。

ここからはあくまで私のお話ですが、最近見出してきた仕事とは「他者にお金を払ってもらいたくなる価値を提供すること」だと考えています。つまり、「自分がお金を払って使いたい価値」を自分が持っているのか?といったお話です。

そして、その自分がお金を払ってでも得たい価値はなにか?そこに実は今回のお話の肝もあると考えています。
好きこそものの上手なれ」と昔の人はうまく言ったものです。好きな対象物があると熱中し、スキルが向上します。

スキルが向上すると他者から喉から手が出るほどに深い、広い価値を得ることができるのです。
スキルといった表現は非常に抽象的で拙い表現ですが、いわゆるスキル、知識、技術、ノウハウ、知恵、情報と様々な言い方ができるでしょう。

もし今の仕事が嫌なら、「好きなものへの軍資金稼ぎ」にするのか「仕事に好きを見出すのか」といった方法があると思います。他責することは簡単です。ハラスメントのレパートリーを増やすのであれば、とっととやめてしまえばいいと思います。

今の日本は労働者優位な契約がされています。だったら、己の好きなタイミングでやめればいいと思います。または、その環境を思いっきり活用するのも1つ案かもしれませんね。

熱中したら周りがアホらしく見える

熱中ゾーンに入ると、周りで愚痴ったり、口先の下向き至高な人々と関わることがどれだけ不毛か見えてきます。

私は怒りといった感情はとても大事だと思いますが、同時に「不毛なことに怒りのエネルギーを使うな、怒りのエネルギーは己のために使え」思考なので、自分のことを邪魔しようと怒らせてくる人はスルーできるようになりました。

大抵の場合なぜあなたを怒らせたのか問いただしても「わからない」「気分」「なんかムカついたから」といった不毛を極める回答が返ってくるので深煎りは厳禁です。

よって、逆の言い方をすると己に集中してる人とは非常に会話や時間の感覚が似てくるので心地よいです。
相手の時間、タイムスペースをしっかりと保ってくれます。時間は有限です。

気が散っていて、己に集中できていない人々は他者にちょっかいを出して、構ってもらおうとする人が多い印象です。
故に熱中することで平穏が訪れるが、そうでない時は周りの騒音が非常に気になることもあるでしょう。

さいごに

世の中にはいろいろな人がいます。
そして、そのいろいろな人はあなたから突進することも、選んでもない、頼んでもないのに突進してくる人もいます。

自分が選択権を持てるよう、己の時間と熱中の主導権はぜひ自分で持てるようにしたいものですね。

今の自分は過去の自分の選択の結果であることを最近は強く意識しながら、好きや熱中を日々追い求めながら、深堀り、更に奥の世界へ歩みを進めていきたいと思います。

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世界の基準が狂うと機会が訪れるhttps://eisukenakanishi.com/2024/11/06/when-the-world-is-chaos/Wed, 06 Nov 2024 05:47:40 +0000https://eisukenakanishi.com/?p=579

はじめに 最近世の中には嫌なニュースや読んでいて胸糞が悪くなるような投稿であったりが溢れかえている世界だなと感じています。 そして、それは自分がそういった文字を引き寄せているのか、はたまた実際に世の中でそういったネガティ ... ]]>

はじめに

最近世の中には嫌なニュースや読んでいて胸糞が悪くなるような投稿であったりが溢れかえている世界だなと感じています。

そして、それは自分がそういった文字を引き寄せているのか、はたまた実際に世の中でそういったネガティブなニュースが増えているのか実際のデータを見ていない故に断定はできませんが、気持ちの良い日を過ごせる日が減ってきていますね。

そんな中で同時に感じていることがあり、今回は筆を執りました。

同時に文字として起こして、残していくことの大切さも感じているので、また頻度も上げていかないとですね。

世界の基準とは?

世界の基準とはいわゆる常識ですね。そういった常識が非常識を上回った時に、それまでの非常識が常識に変わり、常識が非常識に変わるといったある意味ターニングポイントになります。

日本の古き良き文化や、守るべき習慣が疎かにされて、同時にそういったものを信じる心が非常識と謳われる世界に変わりつつあると、そういった感性、思想を大切にする、継承することの希少性が上がると信じています。

つまりは、機会です。

おかしいことはおかしいと思える完成を維持する

どんな状況であれ、臨機応変さ、柔軟さは維持しつつも、おかしい、非常識だと感じられる心は大切に維持したいと思います。

年齢を重ねるごとにいろいろな事象に興味や面白みを感じているので、その心も大切にしながら、不可抗力を覆し生きていきたいですね。

次回「人生とは選択の連続であること」について綴っていきたいと思います。

また、同時にYouTubeでもこういった第三の目、千里眼のような視座の違いについてのポッドキャストもどきもぽつぽつと投稿していきたいと思います。

マイペースに着実に進めていきます。

さいごに

やはり、継続は力なりであったり、言い伝えられる事象にはある程度の根拠や法則が見いだせるものですね。

諦めずに足踏みし続け、少しでも前進していきます。

また会う日まで、アディオス。

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その発言は”誰”がしているのか?https://eisukenakanishi.com/2024/09/16/that-post-is-by-who/Mon, 16 Sep 2024 11:19:40 +0000https://eisukenakanishi.com/?p=575

はじめに 皆さんは最近SNSやインターネット上で発信していますか? 発信活動を行うとその量や質に関係なくアンチコメントであったり、自身にとって心地の良い意見であったりコメントをもらったりする場面に遭遇すると思います。 今 ... ]]>

はじめに

皆さんは最近SNSやインターネット上で発信していますか?

発信活動を行うとその量や質に関係なくアンチコメントであったり、自身にとって心地の良い意見であったりコメントをもらったりする場面に遭遇すると思います。

今回はそういった発言やコメントの良い悪い含めてどういった点に気をつけながら見極めていくのかを自分なりに解析した内容について軽くメモしておきたいと思います。

良いコメントに潜むリスク

良いコメント、応援コメント、肯定的なコメント等は一般的に自身にとってはとても心地の良いものです。
ただ、その発言は一体どういった人物がどういった意図で行っているのかをしっかりと見極める力も必要であると考えています。

なぜなら、あなたに対してなにかお願い事があるのか?はたまた、陥れたくて言っているのか?または皮肉として言っているのか?罠にはめようとして愛想の良い表現を使っているのか?など常に誰がコメントしているのか?どういった人物なのかは念頭に置きながらインプットしなくてはいけないと考えています。

そして結論として大半が誰が発言しているかの特定も、検討も難しいので、SNS上でのコメントや意見はかなり距離をおいて閲覧を心がけるように僕は気をつけています。

肯定的なコメントは自身の偏りを加速させ、一歩間違えると誤った思考や思想がただ強まってしまう可能性が高まることを常に危惧しています。

このあとに続く否定的なコメントについてでも書きますが、結局どこのどちら様が書いたかもわからないようなコメントや意見に心を揺さぶられるほど虚しくしんどいものはないです。

当事者になるとその部分が曇ってきてしまうので、常にそういった意識を念頭に置きながら現代は生きないといけないのかなと辛く感じてしまうときもありますが、気を抜いて沈むよりはいいかなと僕は考えています。

悪いコメントに潜むリスク

オリンピックなどでも話題になりましたが、意外と身近な人間が否定的なコメントや心理的攻撃を仕掛けてきている事象と言ったものは決して珍しいものではありません。

ネガティブと感じてしまうコメントは基本的にクローズするのが吉です。

YouTubeなどはコメントを開けておかないと収益化ができないなどの縛りがありますが、ビジネスモデルとしてYouTube一本で検討しているのであればコメントとの向き合い方は考えなくてはいけませんが、そうでないのであればクローズが大吉です。

否定的なコメントは基本的に誰が発言したかもわからないものなので、そういったものはシャットアウトするに限ります。

さいごに

「かっこいいね」、「かわいいね」といった見た目に対しての肯定的なコメントや「頭いいね」「お金持ちそう」「モテそう」「すごい!」といった肯定的なコメントはそのコメント欲しさに無謀な投稿や発言を繰り返してしまうきっかけになりかねません。

そういった表現は一体どこの誰がどういった目的で行っているのかをしっかりと念頭に置きながら、驕らずに素直に自分自身は生きられるよう心がけたいと思います。

なかなか自分自身を客観視して落ち着いた視点で見ることは難しいですが、引き続き意識して生活していきたいと思います。

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怒りを感じたタイミングは最高の成長の瞬間だhttps://eisukenakanishi.com/2024/09/12/the-anger-is-the-time/Thu, 12 Sep 2024 12:44:02 +0000https://eisukenakanishi.com/?p=568

はじめに こんにちは、皆さんはどういったときに怒りを覚え、また怒りを覚えたあとの行動としてどのようなものがありますでしょうか? 例えば暴力を遂行し、その後自暴自棄になるであったり、怒りを覚えたあとはその感情を抑え込むため ... ]]>

はじめに

こんにちは、皆さんはどういったときに怒りを覚え、また怒りを覚えたあとの行動としてどのようなものがありますでしょうか?
例えば暴力を遂行し、その後自暴自棄になるであったり、怒りを覚えたあとはその感情を抑え込むために一人になりたくなるといったように人によって、または状況や事情によって変わってくると思います。

僕は最近大きな怒りを感じ、その怒りをきっかけに大きく成長できるチャンスを掴みました。
今回は怒りを感じることは悪いことばかりでもなく、ピンチはチャンス、またはその怒りを大きなエネルギーに変えることで、自身の成長に大きく貢献させることができたことについて軽くメモしておこうと思い筆を執りました。

怒りのきっかけ

まず今回僕は怒りのきっかけが1つあり、そのきっかけを踏まえて2つの軸で成長を決意し成長することに成功しています。
1つは禁煙です。禁煙は今まで幾度となく挑戦してきましたが、失敗の繰り返しでした。しかし今回すでに不快に感じる地点まで到達しており、爽快な日々を過ごしています。

2つ目は今のメインの受託案件をサブに回すための本事業を自社で発足させる決意がついたことです。
現在メインの受託案件として頂いてる内容に不満があるわけでもないですし、継続して受託いただけるのであれば継続するつもりです。

ただ、今回の怒りのきっかけを元に、怒りを与えた事象と同じパスを歩むのもリスクと感じました。
加えてせっかく自社事業を創りたいと考えていたのであれば、これを機にやってみようじゃないかと決意することができました。

まだ、微妙な速度で進んでいますが、着実に歩みを進めたいきたいと思います。

結局、自分がなりたい像と夢を持つことの重要性

結論として、1つ1つの小さな事象もそうですが、大きく夢を持つことは悪いことではないと思いますし、自身に好きがあるといった事象は本当に幸せの極みなんだなと改めて噛み締めています。

夢がないとか、夢ってなんだろうといった悩みだったり、必要なのか?と疑心暗鬼になる方もいたりすると思いますが、必ずしも夢を持たないといけないと言った話でもないですが、あくまで僕自身は夢を持つことで動きやすかったですといったお話です。

成長というのも禁煙とはたから見ればしょうもない成長も僕にとっては大きな成長ですし、周りがなんと言おうと、自分を信じてあげることの大切さのほうが何百倍もそして唯一無二に大切です。

自分がまずは満足できる自分になってあげることが今の僕にとってはとても重要なことです。

久しぶりに文章を書いたので、なんだか拙いものですが、最後まで読んでいただきありがとうございます。

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生きづらくなったら一度立ち止まるってのはすごく贅沢な話なのかもしれないhttps://eisukenakanishi.com/2024/07/16/stop-and-think/Tue, 16 Jul 2024 14:30:46 +0000https://eisukenakanishi.com/?p=562

はじめに 人生生きづらくなったときに休んでいいんだよ、と言ってもらえる、自分自身に言える環境というのはとても贅沢な環境なのかもしれない、といった話についての気づきを自分なりに整理する殴り書き程度の読み物です。 立ち止まる ... ]]>

はじめに

人生生きづらくなったときに休んでいいんだよ、と言ってもらえる、自分自身に言える環境というのはとても贅沢な環境なのかもしれない、といった話についての気づきを自分なりに整理する殴り書き程度の読み物です。

立ち止まることができる、期限はとりあえず決めずに、そんな贅沢な時間を過去に経験したのであれば日銭をどのようにするかなども考えなくていいのかもしれないです。
ただ、そういった環境は実はとても贅沢であり、周りのお陰で実施できていることなのかもしれないと、感謝をするきっかけになるかもしれません。

今回は立ち止まること、その際に何を決めるかだけは決めて立ち止まる、休憩することも長い荒い道なりを乗り越えるためにも必要なスキルなのかもしれないと考えています。

何かを決めて立ち止まる、そのなにか

期限とやらないことを決める、そう自分自身はいつも決めて立ち止まります。

やることを決めるのではなく、やらないことを決めるのには理由があります。
自分自身が止まるきっかけになったものがネガティブ起因であれば何かをやったから、不得意なことを?または慣れていないことを?やったゆえに止まってしまった、回復のために必要な休息が発生したと考えると、その事象をやらない、またはその原因を起こさないためにやらないことを決めるといったことは実施するようにしています。

あとはいつまで立ち止まっていいのかを1週間、3週間と奇数単位で決めています。

逃げるのではない、チューニングである

逃げるというのはすごく加害者視点の発言です。
かといって加害者の対義語である被害者の話をしているわけでもありません。

二択の世界ではなく、相反する状況での自分をチューニングする時間と術を手に入れているだけです。

チューニングはいついかなる時も大事です。
自分自身の機嫌、アンガーマネジメントすべてにおいてチューニングが必要です。

壊さないように、そして自身の夢にために一瞬の感情に乱れに流されないように気をつけたいと思います。

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自分と向き合う時間も場所も必要https://eisukenakanishi.com/2024/06/13/time-to-look-against-you/Thu, 13 Jun 2024 14:52:42 +0000https://eisukenakanishi.com/?p=553

はじめに 一人になって不安に感じたり、逆に一人になることで快感を得たり、その捉え方は人によって違ったり、時と場合によって前者であったり、後者であったりすると思います。僕は自分と向き合う時間が特に必要なタイプで、急激に一人 ... ]]>

はじめに

一人になって不安に感じたり、逆に一人になることで快感を得たり、その捉え方は人によって違ったり、時と場合によって前者であったり、後者であったりすると思います。
僕は自分と向き合う時間が特に必要なタイプで、急激に一人になりたくなる瞬間があります。

そういった時間をどのような事柄に使っているのかなどを書きなぐりで記していきたいと思います。

一人で自由気ままに・・・ではなく、ストイックに

ストイックとかかっこいいから言いたかっただけ、なフレーズです。
実際には自由気ままにではありませんが、一週間をぽけーっと振り返ってみたり、部屋の模様替えをしてみたり、なんかこの前見た本あったよなー、なんだっけな?ととりあえずアマゾンのカートに追加しておいたり、一人だからこそある意味気ままにだけど自身のために整理をすることができます。

そして僕はこの自身の整理をする時間がないとゴミ屋敷な脳内になってしまい非常に短気になります。

人によってはこういった一人になることで気付けること、整理できることあると思いますので、もし最近すぐにイライラしやすいなど感じる方は一度自身の状態をメモ帳に整理して書き出してみるといった行動を実施してみるとまた新たな景色と自身が見えてくるかもしれません。

ふとブログを書かないと、でも何を書こうかな?と思ったのでまずは書いてみる、といった行動を取るようにしてみました。

支離滅裂でもいい、書いて公開するを目的に今回は一人になることで整理できる事柄もあるよね、について書きなぐってみました。

ちゃんちゃん。

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SNSにトラブル動画をアップロードする心理とリスクhttps://eisukenakanishi.com/2024/05/09/my-thoguths-on-sns-contents/Thu, 09 May 2024 11:59:35 +0000https://eisukenakanishi.com/?p=547

はじめに 昨今SNSでよく煽られた動画や、トラブルの動画を一方的にアップロードし、物議を醸したり、さらなるトラブルに巻き込まれている様子を多く見かけるようになりました。結論として、私はSNSに動画をアップロードする行為自 ... ]]>

はじめに

昨今SNSでよく煽られた動画や、トラブルの動画を一方的にアップロードし、物議を醸したり、さらなるトラブルに巻き込まれている様子を多く見かけるようになりました。
結論として、私はSNSに動画をアップロードする行為自体も立派な迷惑行為であり、肖像権の侵害なども含めて非常に卑怯なやり方だなと考えています。

動画として記録することは正しいこと

何かしらトラブルに巻き込まれた際に、動画であったり写真として記録することは非常に重要なことであり、行動だと考えています。
なぜなら、警察に被害届を出す際に自身の記憶と違った情報を渡してしまったり、車のトラブルであれば相手方のナンバーを忘れてしまうような事態を避けられるからです。

ただ、昨今のSNS界隈を見ていると、自身の一方的な意見とともにそういった動画を公開している人が多くいることに懸念感と卑怯な手口だと感じてしまいます。

喧嘩両成敗

喧嘩両成敗といった言葉の示す通り、喧嘩やトラブルがあった場合必ず仲介者であったり部外者は両者の意見を聞くべきだと考えています。
その結果どちらかが原因を作っていたことも判明しますし、なぜ両者間でのトラブルまでに発展したのかも客観的に分析できます。

加えて、それぞれの言い分を聞くことがフェアでありますし、片方の意見だけ聞いて決めつけることほど愚かなことはないと考えています。

両者にはそれぞれ理由があり、両者ともそれぞれ違う人間故に感性も違います。

場合によっては喧嘩両成敗の文字のごとくどちらも処罰される必要がある結果にもなり得ます。

SNSにアップするのは自己満足と承認欲求でしかない

例えば、自分の家族が失踪しています、車が盗難されましたといった自身の問題と深く繋がりがあるものに対しては、SNSを活用するべきだと考えます。
ただ、「こいつに煽られた、場所特定して懲らしめてやろう」のようなコンテンツは「だからトラブルに発展したのでは?」と思わざるを得ません。

SNSには偏りがありますし、そのようなコンテンツをゴシップネタと同様に娯楽として扱う人々も多いです。

そのような空間に投稿することにより負うリスクは非常に高いと感じます。故にそういったコンテンツを軽々しくインターネットといった空間に共有するのはやはりリテラシーであったり、学の欠落を感じざるを得ません。

正しい送信先に正しく届ける

万が一トラブルになり動画を取った際は、警察に相談をするのが最適です。
また、裁判沙汰にしたいのであれば、きちんと保管するべきです。

SNSに投稿することに、肖像権で訴えられますし、そもそもなぜ現場で警察官を呼ばなかったのか?呼べなかったのなら、すぐに警察署に向かうべきです。
警察は機能していないというのであれば、きちんと説明すべきことを整理し、自分はどうしたいのかを明確にするべきです。

ただ謝罪がほしいでは全く意味がないです。

公的機関を活用し、必要に応じて相談の結果弁護士さんに共有することで、トラブルによって負ってしまった傷、破損、被害を回収しましょう。

安易にSNSに共有することは、つまりあなたがトラブルの原因ですよと私は感じてしまうことが多いです。
適切にスマートに感情に流されるような行動は自戒の意も込めて慎みたいと思います。

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Pythonの次にどの言語をインプットするか悩んでいるならRustが最適解https://eisukenakanishi.com/2024/03/05/what-is-the-next-language-to-learn/Tue, 05 Mar 2024 13:52:43 +0000https://eisukenakanishi.com/?p=542

はじめに よく講師業であったり、大学のゼミに呼ばれたときに「エンジニアとして力をつけたいのですが、言語の幅を広げようと思ってどの言語学べばいいですか?」といった質問を受けることが数える程度ですがありました。エンジニアとし ... ]]>

はじめに

よく講師業であったり、大学のゼミに呼ばれたときに「エンジニアとして力をつけたいのですが、言語の幅を広げようと思ってどの言語学べばいいですか?」といった質問を受けることが数える程度ですがありました。
エンジニアとしてであれば、言語のバラエティはあまり重要ではないかな、と捉えつつも、新たな言語をインプットしたくなる気持ちも理解できますし、暇つぶしに資格を取る感覚で新たな言語を覚えるのもおすすめはしています。

そういった際に前提としてPythonが使えるが次の言語候補としてどのようなものが最適か?を自分なりに検討し、現在進行系でインプットしているので、共有の意味も込めて記事に起こしておこうと思いました。

エンジニア視点と講師視点で紹介してみる

まず、エンジニア視点としてスクリプト言語のPythonから入ったのであればコンパイラ言語のC言語やJavaを1つプログラムのロジックを理解するうえでもインプットするのはいいかなと感じています。

同時に講師としてJavaの研修は需要が高く、講師としての需要も高いです。
なので、Javaを選定するといった選択は無難な選択かなとも捉えています。

逆に講師視点からだとトレンドの高い言語をインプットするのも有益で、前述したJavaのようにすでにマーケットとして存在する言語をインプットする他にもPythonのトレンドに合わせて新規の需要が発生するといった流れから、私は現在Rust言語をインプットしています。

Rustはコンパイラ言語に分類されますし、Pythonからの移行がとても容易である点が魅力の一つです。
また既存のC言語が使われているシステムでRust言語でリプレイスを行っているソフトウェア企業も徐々に増えてきています。

そのような時代背景も垣間見て、Rust言語は将来性並びにプログラミングの知識として幅を広げられるのではないだろうかと考えて、Rustを選定し、インプットしています。

結論としては個人の自由ですし、日本人が開発したRuby言語もとっかかりやすいと言われています。
加えて私自身がそうであったように、書きやすい、読みやすい言語から幅を広げていくのもいいのではないでしょうか?

エンジニアとして幅を広げるなら

エンジニアとして幅を広げるなら、一般的なエンジニアの幅を広げるのもいいですし、デザイン領域などエンジニアが苦手とする領域にあえて飛び込むなども1つ方法としては良いかと思います。
1エンジニアとしてデザイン領域などに入ると、全く違った景色が見えたりするのもなかなか面白いものです。

そして講師としてプログラミングを教える際も退屈極まりないスライドではなく、読みやすい話が入ってきやすいスライドを作ることができるようになるなど、エンジニア領域でも有効なスキルが多数潜んでいると考えています。

ただ、インフラ、ネットワーク、データベース、クラウド、IoT、セキュリティなどエンジニアとして貢献できる領域も多数あるため、まずは挑戦してみて、自分がとっかかりやすいと感じたものから少し深めるのが私なりのやり方です。
嫌なもの、興味がわかないものはなかなかスキルが上がらないといった点に関してはエンジニアとして働いている皆様なら重々承知していると思います。

好きこそものの上手なれではありませんが、好きなものからかじっていくのがとても有効かと感じています。

さいごに

時代の流れとともに若い人たちがプログラムを使って〇〇を開発したなどニュースを見ると「やばいな」「あとn年後には彼らと戦わないといけないのか・・・」といった絶望感が増したり、技術の進歩の速度に気が滅入ることもあると思います。

ただ、いつの時代も自分がプログラミングを始めたときのワクワク感を忘れずに、ソフトウェアを使って楽しむ心を持ち続けることが意外と最前線で戦うために必要なスキルかもしれません。

戦うといった表現も私個人としては適切ではないと感じています。
若い人たちと協業して、彼らの知識を尊重し、どのようにコミュニケーションを取り、自社であったり、社会のために貢献できるかなどを楽しく考えソフトウェアを開発する、嗜む大人の余裕を身につけるのが世代を超えて世の中に必要なモノかもしれませんね。

私自身も楽しみながら、ただときに楽しみを維持するための苦しみも感じながら日々鍛錬を続けていきたいと考えています。

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人の生き様は死に際によく見えるhttps://eisukenakanishi.com/2024/02/27/you-see-the-real-before-dead/Tue, 27 Feb 2024 14:10:58 +0000https://eisukenakanishi.com/?p=538

はじめに 最近自分が最優先であることを相手に対して威嚇してまで伝える人が多い世の中だなと感じています。 例に挙げればきりがありませんが、エレベーターの乗り降りにしても、車であったり歩行者の譲り合いであったり、トイレに並ん ... ]]>

はじめに

最近自分が最優先であることを相手に対して威嚇してまで伝える人が多い世の中だなと感じています。

例に挙げればきりがありませんが、エレベーターの乗り降りにしても、車であったり歩行者の譲り合いであったり、トイレに並んでいる最中でも「我こそが」と言わんばかりに押しのけて先に先に!と生きている人を多く見かけます。

そんな方を私は多く目にする昨今ですが、人の本性といったものはどういった時に一番出るのか?またはどういった方法で見極められるのか?を自分なりに様々な書籍であったり、現実社会で見たものを例に上げながら整理してみたいと感じ今回この記事を執筆するに至りました。

では、早速見てみましょう。

結論:人の本性は死に際/死を目の前に見える

*一部私なりの解釈が入っている点はご了承ください。

戦後、日本が敗戦国なった際にマッカーサーが日本に降り立ち、当時の天皇陛下に「彼はどのような命乞いをするのだろうか?」と想像すると同時に、「どのようなペナルティを課してやろうか」と考えながら日本に降り立ったと読みました。

天皇陛下は己の命はいいから日本国民に手出しはしないでほしいといった回答をした、と上記同様読みました。

この例を元に今回はお話を進めていく点が大筋になりますが、人は死を覚悟した時に本性が出るいい例だなと感じました。
悪いやつほど生きることに必死であるとはよく言ったものですが、悪いやつほど人を殺してでも自分は生き延びようとするのは世界どこを見ても共有事項であることは様々な文献から読み取ることができます。

冒頭から結論になりますが、人の本性は死を目前にして見えることが多分にあると感じています。

神戸市灘区トラック事故

この例はトラックの運転手の方が負傷者を増やさぬよう結果としてですが、自ら川にトラックを突っ込ませ強制的に止めたといった事故になります。
現在トラックの会社の元所長がトラックの管理を怠ったといった件についての裁判にかけられている状況です。

自分が生きる、が全面に出てしまった場合は、川に突っ込むではなく民家に突っ込むであったり、他の車両に激突しながら止まるといった選択肢も出てくるかもしれません。
川に突っ込んでしまったのはたまたまであったり、結果論かもしれませんが、こういった時にどのような行動を取るのか?が実はその人間の本質が垣間見える瞬間かもしれないな、と私自身強く感じました。

レディーファーストが出来ない日本人男児

レディーファーストなんて欧米の習慣であって、一家の大黒柱である俺様が一番だ!といった考え方は否定はしませんし、そういったスタイルが通用する場面、男らしい場面と捉えられるシーンもゼロではないと感じています。
ただ、海外との接点が増えてきた今、知っている、できるが前提条件としてあり、場面に応じて使い分けができるのと、知らない、できないから結果として出来ていないであれば圧倒的に前者のほうが機会創出につながると考えています。

故に冒頭で述べたエレベーターの乗り降りの際も、歩行が困難な方に譲るであったり、自分より年長者を譲るであったり、子連れの親子を先に譲るなど当たり前のように出来ない、そして譲られた側も当たり前のように降りていく、乗ってくるといった行動は人を不快にし、がっかりさせます。

よく車をオフィスビルの前でドアマンなどに預けた際に一番手前に止めるのは自分たちに挨拶をしてくれた人から優先的に前に止め、預けてくれた人が早々に帰れるよう駐車するといったインタビューを見たことがあります。

職業がなにであれ前提として皆人間です。自分が大事にされている、自分のことを来にしてくれていると感じさせてくれる人のことは無意識・意識的でも記憶の端に存在しています。
人の生きざまは様々ですし、何が正解かはわかりません。同時にAさんには良くても、Bさんには悪い評価を受けてしまう行動発現もあります。

故に常日頃から周りをよく観察して、どういった行動がスマートで、かっこいいな、素敵だなと感じるかを認知したうえで、行動してみる勇気を持って身につけていくのが人として私が望む生き様です。

まとめ

人の生き様は多種多様です。

自分さえ良ければ良いと考えればいい!といった考えの人を否定するつもりはありません。
ただ、私自身は真面目に生きるのが馬鹿らしい!と感じてしまうシーンにたくさん遭遇しますが、いつか報われるといった期待より、そういった行動とがっかりする気持ちを浴びることで、人の行動パターンやなぜこのような発言、行動をするのか?を考える機会を得ています。

真面目に生きていると見えないものがたくさん見えます。
故に不愉快に感じることも多くありますが、1つ1つの発見に心も踊ります。

嫌なことを嫌なことで終わらせるのか?それとも、嫌だったのはなぜそう感じたのか、また次どのように対応するか?
そのように人生を攻略するスキルを会得できる喜びにするのか?

それはあなた次第ですし、私自身もまだまだ発展途上の最中です。

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点と点は実は繋がっている、後はその点をどのように繋いでいくかhttps://eisukenakanishi.com/2024/02/24/connecting-the-dots/Fri, 23 Feb 2024 16:00:05 +0000https://eisukenakanishi.com/?p=531

はじめに ふとした時に、自身の人生を振り返った時にあの経験は今どのように活きているのか?次なにかアクションを起こそうとしている経験は今後どのように活かすことができるだろうか?と悩んだり、その悩みがきっかけで足踏みをしてし ... ]]>

はじめに

ふとした時に、自身の人生を振り返った時にあの経験は今どのように活きているのか?次なにかアクションを起こそうとしている経験は今後どのように活かすことができるだろうか?と悩んだり、その悩みがきっかけで足踏みをしてしまったりしたことはないでしょうか?

もしかしたら、現在進行系でそういった事象に陥ってる人もいるかもしれません。
今回は自身の経験を元に、経験(点)が意味あるものになるのか?または意味を有るものにするためにはどのように捉えれば良いのかを自身の経験の整理も兼ねて筆をたしなめていきたいと思います。

自身が思う点を整理してみる

自分の点を整理してみると、音楽活動、海外の在住経験、いじめの経験、不登校の経験、心療内科への通院経験、カメラの経験など上げるときりが無いのは皆様も一緒かもしれません。

今回は上記に挙げた一部の例を元にお話を進めていきたいと思います。

僕の場合列挙される経験、良いもの悪いもの含め他者より数が多いかもしれませんが、それは人によって違うと思いますし、数が多ければ少なければいいといった訳でもないです。
その点を念頭に置いていただいたうえで整理と接点を持たせる実験をしてみたいと思います。

音楽活動の点をなにかに繋いでみる

まず音楽活動ではボーカル・ギターをバンドで務めたり、作曲してみたり、DTMに挑戦してみたり、そこからパソコンに更にのめり込んだ時期などもありました。
そういった点は例えば現代でいうと動画制作に活かせた点なども多数あります。

講師業で言えばマイクを研修会場でどのように接続するのかといったミキサーの使い方など難なくこなせます。
また、音にシビアになるので、ドライブの際のEQセッティングなども含め車体が共振しない程度に音圧を生み出すかなども日常生活で役立っています。

また、英詩を歌っていた経験は海外在住経験が活かされ、そのおかげで帰国後もリズミカルな英語を継続して維持することができています。
大抵の人は僕が英語を話せることに関しては信じていませんが。

いじめの経験は?

いじめに関してはしなくてよかった、したくなかったと当時の自分に未来の自分はどう思う?といった質問をしたら答えたでしょう。

ただ、避けて通れなかった故に結果論としては「怒りを持つとその効果は長期間持続する」そして、その怒りを持った者とそうでない者では中期で大きな差が生まれる可能性が高いといった点を経験できました。

発言に気をつけるようになり、発言のバリエーションを増やすために語彙力を高め、相手の目を見て話すようになり、相手の感情の動きに敏感になりました。
もちろん弊害も生まれますが、弊害は自分で制御、リセット処理が行えるので対人ではメリットを多く感じることができています。

不登校もいじめられたことにより発生しましたし、心療内科も同様です。不登校になり、自由時間(指図されない時間)が生まれると家から出なくなってしまう傾向が強くなってしまいました。
ただ、そこで強制的に外に出ることで社会性を維持し、家にいられる時間で何をするかを決める権限を自身で持ち、活用することができたと感じています。

ただ、服薬の副作用は非常にダメージが大きく、その点は大きなデメリットかと思います。

心療内科も通うことで「世の中には様々な人種がいて、様々な年代でそれぞれ悩みであったり、苦悩する原因が違う」といったことを目の当たりにしました。
一概に自分の悩みは重たいといった思想は全員に当てはまるので、「なぜ自分の悩みの方が重くて、あなたのはそんなに重くないのにそんなに悩んでいるんだ?」といった偏見を持つ機会が減りました。

自分の悩みは誰しもが一番「どうすればいいんだ・・・」と感じるものであり、他者に判断されるものではないものが多いんだな、と理解した瞬間でもありました。

全体を通しての感想と点と点のつなぎ方

全体を通して、点(経験)は僕の場合接点を感じられるタイミングが多かったのもありますが、後は経験をどのように次の点、経験につなげるかが重要かと思います。

当事者である時は「なんで自分だけ・・・こんなに大変なんだ」と他者を妬んだり、恨んだりすることもあるかと思います。
しかし、結局みんな自分が一番可愛いのです、そういった理不尽にその時は感じるかもしれませんが、その理不尽を自力で解決し、突破したときの達成感と経験値は他者に渡されるのではなく自身の糧になります。

ピンチはチャンス」とはよく言ったものです。まさに僕は窮地はギフトと捉えています。
どうしよう、やばい、となったときこそ自身の力を試されているのです。

もちろん、状況によっては棄権するのも1つ方法ですが、僕は常にそういった窮地には燃えて飛び込んできたなと振り返ると感じます。
昔からの友人にも「石橋を叩かず渡る人」と呼ばれるように、やってみないとわからない、といったポリシーの元生きています。

日々、意識しながらまた飛び込んでいきたいと思います。

まとめ

点と点をつなげるのは自分自身でしか選べないし、選ぶべきでないと思います。

眼の前に転がってくる点(機会)もありますし、掴み取る場合もあります。ただ、瞬間的に負の感情に支配されることもありますが、時間が解決してくれます。
時間に身を委ねて、冷静になれた時点で通過した点を次どの点に繋げるかを意識して次の一歩を踏み出すのが、結果として接点となり、自分を形成する形状を構成してくれると信じています。

明日からも元気に生きていく。

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