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【note】どうでもいいことにどうでも良いコメントつけてる暇がある人へ感謝の意

はじめに

こんにちは、どうでもいい人に向けての感謝の意を綴る記事です。

昨今流行ってはいけないのに流行っている誹謗中傷といった動きに関して私なりに感じたことがあります。

誹謗中傷してる人って本当に人の振り見て我が振り直せ状態だよね、ってことです。

これが唯一私から言えることであり教えてあげることです。

誹謗中傷からの気づきを自身に活かす

誹謗中傷は悪です。
しかし世の中善と悪といった二面性を持っているといった理屈から考えると一生消え去らない理論だと考えています。

つまり、どうやって付き合っていくか?といった点にフォーカスしたほうがお得です。

誹謗中傷された時、本当に傷つきます。
何気ない言葉が個の心を傷つけます。

許されないことです。
ただ、そういった無神経な層がいることも事実です。
そういった無神経な人とどうやって付き合っていくかを課題設定として考えた時に、どうやって付き合って、どうやって頭と体を分離させるのか。

我々には考えるといった武器があります。
無神経な奴らは考えるということが苦手です。

無能と有能の違いは

無能は能力がないという意味ですよね、有能はその逆。
無能は考える能力が著しく低いと感じています。

ただ、私が思う無能か否かは「無能!」と言われて、「何がそう相手に言わせたのか」と冷静に考えられる人は有能だと考えています。

無能と言われて、同じことを相手に言わせてたら無能の仲間入りです。
こういったケースの場合は相手を無能の世界へ陥れるのが有能です。

考えない人というのは自分の成長が止まっている人だと考えています。
成長が止まっている人って著しく考えないんですよね。

なんで相手がこういった発言をするのか、こう言ったら相手はどう感じるか、といった疑問を持たない人というのは本当に不憫に思えてきます。
誹謗中傷とか妬みといった行為をされるのは1つ成長の証である、と言われたことがあり「何いってんだ?」と思ったことがありますが、今ならわかります。

奴らは妬んでいるからこそ、その環状の赴くままに考えずに言葉を放っているのです。貧相な語彙力とともに・・・。

正義を振りかざすのは果たして正義なのか

ここで私のように意見を述べるといったことを私は正義とか悪といった単純な二極化された考えで発言しているつもりはありません。

正義も時には悪になるからです。
正義を振りかざす事は悪だと考えています。

本当の正義は自身が思い込んでいる正義ではなく、他者が評価する正義が本来のあるべき正義だと考えています。

昨今の日本で自粛警察といった呼び方をされていますが、彼等は悪気があってやっているのではなく、自分を周りを守るために、正義を振りかざしているのではないでしょうか?

意思表明は〇〇でどんどんしていこう

意思表明をした記事を見て、どうでもいい。
意思表明は聞きたくない。

とか言った発言を見かけますが、どうでもいいならコメントするなよ。
名乗りもしない無礼なやつが無礼な言葉を放って何の意味があるのかな?

と考えられない無能な世界の住人は指をくわえていてください。
意思表明はインターネットだろうが、自分の周囲でどんどんしていいと思います。

賛同されようが賛同されなかろうが、いつだって疑う心を忘れずに、自分を信じてどんどん意思表明していきますししていきましょう。

誰がなんと言おうと誰もあなたを動かす権利など無い

言われた言葉で傷はつきます、落ち込みます、泣きたくなります、キレます。いいんです。喜怒哀楽あってこそ人間らしいじゃないですか。

不動産じゃないんです。誰の持ち物でもないのです。

あなたはあなた、誰がなんと言おうとあなたをこの世界から立ち退かす権利などないです。

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inke

◼︎KustomApe代表 ◼︎エンジニア ◼︎トレーダー ◼︎Python/AI/機械学習/データ解析/言語化 ◼︎黙々とセルフラーニング

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