世界の基準が狂うと機会が訪れる

はじめに

最近世の中には嫌なニュースや読んでいて胸糞が悪くなるような投稿であったりが溢れかえている世界だなと感じています。

そして、それは自分がそういった文字を引き寄せているのか、はたまた実際に世の中でそういったネガティブなニュースが増えているのか実際のデータを見ていない故に断定はできませんが、気持ちの良い日を過ごせる日が減ってきていますね。

そんな中で同時に感じていることがあり、今回は筆を執りました。

同時に文字として起こして、残していくことの大切さも感じているので、また頻度も上げていかないとですね。

世界の基準とは?

世界の基準とはいわゆる常識ですね。そういった常識が非常識を上回った時に、それまでの非常識が常識に変わり、常識が非常識に変わるといったある意味ターニングポイントになります。

日本の古き良き文化や、守るべき習慣が疎かにされて、同時にそういったものを信じる心が非常識と謳われる世界に変わりつつあると、そういった感性、思想を大切にする、継承することの希少性が上がると信じています。

つまりは、機会です。

おかしいことはおかしいと思える完成を維持する

どんな状況であれ、臨機応変さ、柔軟さは維持しつつも、おかしい、非常識だと感じられる心は大切に維持したいと思います。

年齢を重ねるごとにいろいろな事象に興味や面白みを感じているので、その心も大切にしながら、不可抗力を覆し生きていきたいですね。

次回「人生とは選択の連続であること」について綴っていきたいと思います。

また、同時にYouTubeでもこういった第三の目、千里眼のような視座の違いについてのポッドキャストもどきもぽつぽつと投稿していきたいと思います。

マイペースに着実に進めていきます。

さいごに

やはり、継続は力なりであったり、言い伝えられる事象にはある程度の根拠や法則が見いだせるものですね。

諦めずに足踏みし続け、少しでも前進していきます。

また会う日まで、アディオス。