投稿主の前提心理として「SNSのフォロワーは自分のことを知っている」から考えてみる

はじめに

世の中には、何気なくSNSというインターネットの大海に近い将来必ず後悔するマーキングをしてしまう人が一定数いることがとても興味深いです。

例えば実在する誰かの悪口であったり、名前は知らないけど町中で感情的になった相手へのぐちであったり、内容は様々でありますし、表現手法も様々です。
文字ベースの場合は読み手の想像に任せる部分も多かれ少なかれありますが、画像や動画の場合は文字以上に伝わってくる情報が多い故に更に誤解や認識齟齬が発生しやすい表現方法です。

大前提、何かしらインターネットの大海原に爆弾やマーキングを行う際は、いったどこの誰がそのコンテンツを取得できるのか?
権限的な観点から、読み手は一体どのような人々なのかをしっかりと認識する必要がありますよね。

今回は投稿主の投稿は基本的に読みてからした場合投稿主と投稿内容がセットで受け取られるといった前提条件があるとした場合のお話をしたいと思います。

投稿主と投稿内容はニコイチ

投稿主と投稿内容は切っても切れない縁でつながっています。
先天的な要素、例えば性別がどっちだから、この人は学歴がXだから、両親がYだから、といったバイアスがかかった投稿内容になります。

なので、同じ投稿内容でも”誰”が投稿したかで受け取り手側からの批判であったり、称賛が真逆に作用することは大いに有り得ることです。

例えば飛行機のファーストクラスに乗りました、をTHEマダムな身なりでブランドで固めて、メイクバッチリ、加工バリバリでアップした場合と、ツートーンの質素な身なりで、投稿主の顔は映らず、座席の足元がとても広いといったコメント付きでアップされた場合、世論の反応は違ってくるかと考えられます。

インターネットの大海原に自身の意見をマーキングする際は、常に自分の座標と軸を明確にしたうえで客観的に投稿内容をレビューする力があったほうが生きやすい世の中になるような気がします。

さいごに

ふと、誰が投稿したかによってこんなにも世論の反応は違ってくるのか!と強く感じた瞬間があったので、一つネタとして取り上げました。

自身も大げさに言えばブランディングを意識しながらインターネットの大海原を安全第一で航海したいものですね。