はじめに
人生を短くも長らく生きていて、自身がなぜここまで来ているのかを振り返った時に怒りの感情に強く背中を押してもらったなと感じることが多いです。
そう考えると怒りといった感情は昨今アンガーマネジメントのように抑える、コントロールすることが大事であると言われていますが、それ以外の喜怒哀楽の残りの3つに関してコントロールは不要なのでしょうか?
そう考え始めるとコントロールが必要なのはすべての感情に対してで、怒りは特に顕著にわかりやすく人に伝わる、傷つけると考えられているからそのように囁かれるのか気になるところです。
自身が怒りといった感情に重きを出しつつも、その他の感情を表情としてであったり、時として行動に反映するためのエネルギーにしていたことは間違いありません。
ただ、自信から生まれる怒りといったものは非常に少なく、誰かに影響を受けて起きる感情として怒りといったものだと捉えています。
故に誰かを怒らせる人は、愚か者であり、怒ったあなたはぜひその怒りと自分のために使ってあげてほしい、そういった自身への気持として今回筆を執りました。
なぜ怒りは注目されるのか?
怒りのアウトプットとして、暴力、暴言といった他者を傷つける行為の原動力として挙げられるため、アンガーマネジメントなんていう馬鹿げた言葉が出てきたのだと考えています。
楽しさも同じようにしっかりとコントロールできないと、危険な薬物に染まり、楽しければいい!と他者を犠牲にしてでも楽しさを優先する輩が出てきます。なぜファンコントロールは言葉としてあまり定着していないのでしょうか?
怒りといった原動力はとてつもないパワーであり、そのパワーを扱えるようになるにはトレーニングや、その矛先をしっかりと定められる倫理観、道徳観が他の感情よりとてもセンスティブに必要です。
なので、世の中では怒りに対してのマネージメントは囁かれているのでしょう。
同様にいじめを受けた側は怒り、哀しみといった感情を多く持ちます。故に成功した人に多い過去に壮絶ないじめを受けていたと行った話がよく出てくるのだと感じています。
人を怒らせるやつは馬鹿だ
昔明石家さんまさんがテレビで「俺は怒らない、人を怒らせるやつはろくでもない」のようなニュアンスの表現をされていて、本音だろうとテレビ上の演出だろうと私にとってはどちらでもいいのですが、気づきがありました。
人を怒らせるやつはろくでもない、馬鹿だといった観点は確かに!と感じたと同時に、ありがたい!と感じるようになりました。
なぜなら怒りはとてもつもないパワーでそのパワーを使って自分を鍛え上げられるからです。ある種時の部屋に強制送還されたような感覚です。
なので、最近は怒りを感じた時にそのパワーを怒らせたやつではなく、自分にぶつけることでとても効率よく、集中力高く成果につながるワークに注げるイメージです。
いずれにせよ
喜怒哀楽、これらのバランスと自身の状態は常に見ておきたいですし、怒りといった感情も尊い!と感じれば、その恩恵にあやかれる。
物事はどこから見るか、どう受け取るかで己のエネルギーにも変わるし、ただの消費になることもあります。
自分も完璧とは程遠いですが、日々修行ですな〜と感じる日々です。