はじめに
「喫煙の禁断症状は尿意である」、いざ喫煙をやめるとあのときの感情は非喫煙者からするとどのように表現できるのだろう?と考える瞬間があります。
どうでもいい、しょうもないトピックかもしれないけど、そんな小さなどうでもいいことを考えて、真剣に今日もいきたいと思います。
集中力の糸
禁断症状はいわゆる尿意と同じで、排尿しない限りずっとお手洗いが頭に居座り、それまで集中していた糸がぷつりと切れてしまい、排尿というアクションを取らない限り一生拭うことのできない支配力であると感じています。
そして、いわゆる集中していた糸がぷつんと切れてしまうことがどれだけ非効率化は非喫煙者はわかっているし、同時に非喫煙者からするとそのマインドを理解することは不可能であると。
私はよく喫煙者と非喫煙者は相容れない関係性だと考えているが、どちらも経験した身からすれば、それは経験したからこそわかる境地であり、経験していない人はあーだこーだ言うのは簡単であることもなんとなくわかってきた。
いわゆる、体験したことの強さは想像レベルとは全く違う次元であるということだ。
正社員を経験したことは偉いことでも、自慢することでもない。
だけど、正社員を悪く言うのであれば正社員やってから言ったほうが説得力あるのと同じだと思う。
正社員やってもないのに正社員のこと悪く言ってるようじゃ何も生まれない。
だからこそ、言える。
禁煙はとても大変である
禁煙は鬼のようにしんどく、その決意を維持するのはとても大変だ。
そう、そもそも始めなければいけないのだ。
だけど、始めてしまった人にそんなこと言ってもしょうがない。
禁煙も喫煙も経験して禁煙の大変さと、非喫煙の効率の良さと、解き放たれた感情に感動している。
今日も僕は尿意とだけ戦って生きていこうと思う。