肩書が欲しい人類

はじめに

人生35年目になってくると、肩書をふと考える瞬間があります。

新入社員の時も大学生の時も自分は何者かを指す肩書を欲していたり、定めていた気がします。

ある意味所属していた学部や学科も肩書を指すものだったのかもしれません。

今日は肩書がどれだけ邪魔で不要なものかを自分なりに言葉として残していきたいと思います。

肩書なんていらない

肩書は視野を狭くし、傲慢に人を変えてしまうと感じています。

自分は社長だから、自分は部長だから、自分は先輩だから、そんな言葉に甘えて、ふんぞりがえって人に対して傲慢になった瞬間ありませんか?

それ以外にも優越感に浸りたくてそういった肩書を定めて自分を崇めてもらうような瞬間もゼロではなかったと思います。

結論、私は肩書などなく「ミスター・ノーバディ」状態が最強だと考えています。

肩書があるかたこそ、余計な邪念に自身の可能性を制限される瞬間があると思います。

肩書は他者が決める

自分で名乗るより、他人が定めた方が都合がいいことがたくさんあります。

肩書も同様の扱いでいいと考えています。

例えば、優秀であるといった評価や、舐められづらいといった評価も他者が決めることで、他者がそういった評価をすることが一番価値が高いことだとみなさんも認識しているでしょう。

どんなに自身が「なめんなよ?」と発言しても舐められるやつは舐められる。

そういった仕組みがわかれば、舐められづらい自身を作る時間に労力を使ったほうが数段マシですし、有効です。

さいごに

肩書よりも自分ができること、自身のスキルセットを増やすことにフォーカスすることが1つ今の時代には重要なキーだと考えています。

情報過多故に、どの情報を選択するか、どう整理するか、そしてどういった自分になるかを極めるほうが楽しいと思います。

一生わからないけど、一生突き詰める人生を歩んでいきたいと思います。

ちゃっす!!!