その発言は”誰”がしているのか?

はじめに

皆さんは最近SNSやインターネット上で発信していますか?

発信活動を行うとその量や質に関係なくアンチコメントであったり、自身にとって心地の良い意見であったりコメントをもらったりする場面に遭遇すると思います。

今回はそういった発言やコメントの良い悪い含めてどういった点に気をつけながら見極めていくのかを自分なりに解析した内容について軽くメモしておきたいと思います。

良いコメントに潜むリスク

良いコメント、応援コメント、肯定的なコメント等は一般的に自身にとってはとても心地の良いものです。
ただ、その発言は一体どういった人物がどういった意図で行っているのかをしっかりと見極める力も必要であると考えています。

なぜなら、あなたに対してなにかお願い事があるのか?はたまた、陥れたくて言っているのか?または皮肉として言っているのか?罠にはめようとして愛想の良い表現を使っているのか?など常に誰がコメントしているのか?どういった人物なのかは念頭に置きながらインプットしなくてはいけないと考えています。

そして結論として大半が誰が発言しているかの特定も、検討も難しいので、SNS上でのコメントや意見はかなり距離をおいて閲覧を心がけるように僕は気をつけています。

肯定的なコメントは自身の偏りを加速させ、一歩間違えると誤った思考や思想がただ強まってしまう可能性が高まることを常に危惧しています。

このあとに続く否定的なコメントについてでも書きますが、結局どこのどちら様が書いたかもわからないようなコメントや意見に心を揺さぶられるほど虚しくしんどいものはないです。

当事者になるとその部分が曇ってきてしまうので、常にそういった意識を念頭に置きながら現代は生きないといけないのかなと辛く感じてしまうときもありますが、気を抜いて沈むよりはいいかなと僕は考えています。

悪いコメントに潜むリスク

オリンピックなどでも話題になりましたが、意外と身近な人間が否定的なコメントや心理的攻撃を仕掛けてきている事象と言ったものは決して珍しいものではありません。

ネガティブと感じてしまうコメントは基本的にクローズするのが吉です。

YouTubeなどはコメントを開けておかないと収益化ができないなどの縛りがありますが、ビジネスモデルとしてYouTube一本で検討しているのであればコメントとの向き合い方は考えなくてはいけませんが、そうでないのであればクローズが大吉です。

否定的なコメントは基本的に誰が発言したかもわからないものなので、そういったものはシャットアウトするに限ります。

さいごに

「かっこいいね」、「かわいいね」といった見た目に対しての肯定的なコメントや「頭いいね」「お金持ちそう」「モテそう」「すごい!」といった肯定的なコメントはそのコメント欲しさに無謀な投稿や発言を繰り返してしまうきっかけになりかねません。

そういった表現は一体どこの誰がどういった目的で行っているのかをしっかりと念頭に置きながら、驕らずに素直に自分自身は生きられるよう心がけたいと思います。

なかなか自分自身を客観視して落ち着いた視点で見ることは難しいですが、引き続き意識して生活していきたいと思います。