はじめに
ニュースで目に入ったこの「SNS上での誹謗中傷が激化」の文言が気になり、筆を執ることにしました。
そして、同様にSNS上で建設的な議論は可能なのかを考えてみたいと思いました。
結論から考えてみる
結論、SNS上でも議論は可能だと考えています。
ただ、一般的なSNS上での議論のハードルは非常に高いので、その理由を以下につらつらと書いていきたいと思います。
なぜインターネット上での議論のハードルは高いのか
皆さんは国境を超えると文化が違うと言った表現や、実際に国境を超えたことで自国では通じていた常識が通じない人に出会ったことはありませんか?
もちろん、国内でも同様のケースに遭遇することは多分にあると思います。
例として、車社会でなんでこういう動きをできるのだろう?なぜトラブルになった時に話が通じないのだろう?と疑問に感じたり、実際にそういった事象が原因で事故の処理がスムーズに進まなかったりしたことはありませんか?
1つ公共交通機関に乗り込めば、自己中心的に席を取ろうとするものや、足を大きく広げて威嚇的な人間に遭遇することも1つ自分とは違った常識の持ち主なんだろうなと感じる一場面であると考えています。
そういった自分と価値観が大小関わらず違った人が参加している世界がSNSでもあると考えています。
そして、自身の本当の姿をIDとアイコン、プロフィールなどで隠すこともできる状態で1つのお題に対して建設的な議論を行うことは非常に難しいです。
なぜなら、対象となる議論に本気で取り組んでいるのか?また、自身の情報はどこからどこまでが本当なのか?同時に自身の情報はどこからどこまで開示して議論に参加するべきなのか?そういったボーダーが国境よりも曖昧で、匿名性を保ちたい人、オープンに議論したい人、ストレスのはけ口にしたい人といった前提条件が他と齟齬が発生している状況で始まっても建設的な議論はできないと感じています。
ただ、そういった議論、建設的でな議論から得られるものもあると考えています。
SNSは一般的にオープンであり、アクセスすることができれば誰でも参加できるといった利点と特徴があります。
故に以下のような状況、環境整備を行えばインターネット上での建設的な議論は可能であると考えています。
インターネット上でクローズドな環境を作る
結論としてはインターネット上にクローズドな環境を作りそこで議論を行うことが一番生産性高く、建設的な議論を可能としてくれると考えています。
例えば有料会員制にしたり、参加するための条件を提示した上でログイン、招待状を受け取れる等の仕組みを作れば、可能だと考えています。
本当にそのお題に対して真剣であれば、対価を支払うことに躊躇はないはずです。
こういったクローズドな環境は思想として偏りが生まれる場合もありますが、SNS上での議論よりも無意味な無駄がなく、ノイズを削減した芯の部分での議論が可能であると言ったところは非常に興味深いと感じます。
ディベートの大会なども、目的が明確であるためにSNS上で散見する人格否定や、本題と全く関係のない無意味なコメントが発生しない理由です。
さいごに
何を持って有益なのか、無益なのかを判断するのは最終時点での行動です。
大事なのはその知識をインプットしたり、意見を傾聴するプロセスで無駄なストレスや自身の尊厳を踏みにじられるようなことはあってはならないということです。
学校のクラスに1人、自分とは合わないやつがいるよりも更に高確率で自分と合わない人がいるのが社会であり、インターネット上での常識になってきます。
目の前にいる人や、事象を優先し、たまに息抜きや刺激を求めてSNSやインターネットの世界に参加するのも1つ、今のVUCAの時代を生きるための術なのかもしれませんね。