はじめに
日頃ますます便利になっていく中で、人類は更に賢くなっていくのか?懸命な選択を行っていくのか?ふとそうした疑問が湧いてきました。
先日ある書籍を購入しまして、その書籍を元にどうなっていくのか、読み始める前に考察してみようと思い筆を執りました。
便利が生み出す時間とその使い方
昨今では便利になった故に怠慢になってしまう部分が増えたと感じています。
別の言い方をすると暇な時間が増えた故に時間の浪費が増えてきた、そして時間を潰せる道楽が増えた故に知識のアップデートや技術のアップデートより道楽で時間を潰し脳死していく傾向の人が増えた印象です。
意識を高く持つであったり、意識を高く持つことが恥ずかしく、ただ、失敗することは恥ずかしいことであり人生が終わるような経験であると感じるようなニュースや場面に多く遭遇します。
すぐにインターネットを通じして自身の恥ずかしい言動が世界に発信されてしまい、その発信1つで人生をかけても修復できないような心の傷を追ってしまうような事件やニュースもよく目にします。
暇な時間が増えると自身との向き合いより、他者へのやっかみが前に出るようになり、失敗を経験と捉えられないトラウマになるといった前提意識が強く根付いています。
とりあえずやってみようがしづらい世の中
とりあえずやってみようと取り掛かることが非常にハードルが高くなっている世の中です。
そうすると知能や経験値が大きく増えるといった体験が少なくなります。そういった世の中ではやはり知能は右肩下がりになってくると考えています。
ただ、逆の言い方をすると誰もがやりづらいと考えているからやったら大きく出られる世の中であるとも考えています。
知能はネガティヴから大きく成長する
劇的な進化は劇的なダメージから生まれると信じているので、劇的なダメージを受けられる環境に自身を置きつつも自衛をしなくてはいけない世の中です。
こうやるとすごく痛いからこうしてみようといった試行錯誤をしづらいからこそする価値がある世界になっていく部分もあると思います。
同時に成功したアフターの人の近況を見てもあまり面白くない、飽きてくるコンテンツになると思います。
今どうしようもなく底辺にいる人にとってはむしろチャンスなタイミングだとも考えています。
成功しているように見える人、一昔前でいうとマネーの虎の虎たちは今どうなっているのか?当時はもてはやされていたが今はどうなっているのか?
マネーの虎をもう少し広義の意味で捉えて、生きてみるのも1つ自身の知能や知恵をブラッシュアップするキーになるかもしれません。
なぐり書きで書いてみたものになりますが、このあと実際に購入した「知能低下の人類」を読んで、自身の仮説と書籍の比較を楽しみながら行ってみたいと思います。