35歳の抱負は「軸と取捨選択」

はじめに

今月35歳になりました。
35歳になったとき、そして2025年を終えるときにキャッシュとしてn円保持しておくといった目標を掲げていました。

いざ35歳になってみたものの、その目標は未達成で、且つ逆方向に進んでしまっている状況でもあります。

今の時代個人である程度の世界観までいけるインフラが整っている中で、なかなか芽を出すことが出来ず、一体全体どうなっているんだ?と自分に問いかける日々が35歳になってから急激に増えてきました。

よく賢い人と賢い人の違いはどこにあるのか?そんな質問にもなっていない、問いを自分に問いかけることがあります。

もう少し具体的に表現すると、認知される賢者と認知されない賢者の違いとでもいいましょうか。

私は認知される賢者を目指しており、それは承認欲求とはまた違ったもので、歴史に名が勝手に刻まれるような魂でありたいといういわゆる行動の結果伴う賢者を目指しています。

その行動の結果の賢者こそが認知される賢者であり、認知されない賢者との違いはなにか?

文脈からも把握できるよう、実装できたかできなかったか?の違いにあると考えています。

故に35歳「軸と取捨選択」という目標を掲げて生きてまいりたいと思います。

軸とは?

いわゆる私は器用貧乏と呼ばれる種族で、ある程度のことはそこそこにこなせる自負があります。

逆の言い方をすると、これしか出来ない、これがずば抜けて得意だという自他ともに認められるものがありません。
強いて言うなら、車の運転や話し方、作曲のセンス、説明力の高さが過去に多数に認められた上手だと呼ばれるものです。

自身の中でまずはこの何を軸にするのかの部分を定めていく1年にしたいと思います。

故にまずは来年の講師業務を断るという大きな、そして不安でしかない選択を行いました。

取捨選択とは?

やるべきこと、やりたいことがたくさんある日常で、やらないこととやりたいことを定めていく。

そのために、やるべきことの割合を計測し、やりたいことの中からやらないことを決めていき、期間を定めて、やりたいことの中から厳選していくフェーズを取りたいと考えています。

今自身がやりたいことは多分にあると同時に、業界、関連が薄いものが多いです。
マージできるものはないか?応用的な部分で行うこと、またはその時に再検討できるものはないか?整理していきたいと思います。

35歳はどうなのか?

35歳という年齢をいざ自分が迎えると身近な親父やお袋の当時を考えたり、それと比較して今の自分のポジショニングを考えさせられることが多いです。

昨今、平均年齢やフォーカスされる年齢が上がっている意識があります。

当時であれば35歳は完全におっさんと呼ばれるような年代だった認識ですが、いざ自分が35歳になるとこんなおっさんいたら悲劇だなと呼べるような、幼稚さが残る絶妙な35歳になっているよ認知してしまいます。

アイドルの平均年齢も少しずつ上っている傾向が見えたり、人生が長生きになった分、あとにずれ込んでいたり、情報過多の影響で取捨選択が難しい世の中になっているような印象も受けます。

口数でなく、行動の数で、背中で示せる漢として、更に自身を磨き、周りを大切に生きていきたいと心に決めたいと思います。

35歳、今年も本気に己と向き合い、己に克つ一年にして参ります。

押忍!!!