30代に苦悩する日々

はじめに

今年も後半戦に入り、空気が涼しく、そしてすぐに寒くなる日を迎えている現実に絶望感と高揚感が入り混じっています。
ふと、今年は何を達成できただろうか?今期は何を達成できたのかしみじみと考える時間があり、物思いに耽る時間が増えました。

自分は今年33歳に繰り上がりますが、自身の内面をふと身の回りの信頼できる人生の先輩と尺度を比較したときに「このままで自分は己の目標を達成できるのだろうか?」であったり、「日々まだ若いと言い聞かせていたり、他者に言われることで安堵してしまっていないだろうか?」ととてつもない恐怖と焦燥感に襲われています。

自身が今後どのようになりたいのか?30代を世間の戯言に耳を傾けてしまってはいけない時期であると今一度振り返るためにここに筆を執ろうと考えました。

苦悩の原因

怒られることへの恐怖心があります。
いつも人の目を気にしてしまい、ご機嫌を伺ってしまっている自分がいます。

いつからか人から後ろ指を指されて、何かに付けては「やっぱりあいつはだめだな」とげんなりされる事に恐怖を覚え始めました。
いつからだろうか?と振り返ったときに思い出すのはいつも帰国後の生活です。

帰国してから人の気持ちを重く考えすぎ、重く捉えすぎ疑い、常に裏切られる前提で人付き合いをしてきました。
いつ裏切られても自分が成長するガソリンに変えて燃やして走り続けてきました。

見返してやる!と行動し新卒で某大手の企業に入ったときに達成感とともに降下していきました。

次の怒りを探し求めて、20代が過ぎ去っていきました。常に裏切られ、常に不安とともに生きてきている中で、自分だけではないことは重々承知しているものの己の信念をどのように突き抜け突き通すかを少し怠ってしまった20代終盤に、ふとこの怒りを再現するのか?それとも次は人に惑わされるのではなく自分のやりたいことやってみたいことをやってみるのか考えながら過ごし始めている自分に気づきました。

そんなとき自分がやってみたいこととはなんだろう?そんなことを多く考えるようになりました。
ITとかプログラムを書くとか、デザインするとか、なんかそういった世間からの「かっこいい人」「すごそうな人」に疲れ果ててしまっていることに気づくと同時に、自分は惑わされすぎてしまったなとふと我に返るタイミングがありました。

とはいえいきなりそういった自分と決別することも難しく、20代で培ったこのスキルセットをどのように活かすのかトライアンドエラーを繰り返しながらエラーの連続で放棄してしまっているような状態に陥っています。

打開策をどのように発掘するのか?

打開策を打ち出そう!といったことを一度やめてみようと決めました。

今自分がやりたいけど我慢してしまっていること、故に未完成なことをまずは1つずつ完成させてみようと思います。

車の外装をやってみるとか、本を読んでみるとか、勉強をするとか、何か抜け落ちてしまっているひらがなを見つけたら、また今見ている景色の見え方も変わるのではなかろうか?そんな淡い誘いに自身を委ねてみようと決断しました。

ブログでの発信や、SNSでの発信なども考えてみては行動できなかったのですが、一度やってみて、ダサくてもいいから書いてみて出してみようと思います。

バンドをやっていた頃は「この曲はボツかも」と思ってもメンバーから「いいじゃん!」と言われた作品や、逆もしかり自身がどんなに熱意を持っても他者に受け入れられないものはアートである、と気づいた瞬間が10代のときにありました。

自分は音楽をマネタイズはできませんでしたが、同時に音楽、音の扱い、自身は音声を使った歌ではなくメッセージングのほうが向いていると、得意だと気づいた瞬間でもありました。

まずは1つずつ目の前にある未完成なことを完成させること。
そんな小さなしょうもないかもしれないけど、やってみたいこと、自分の思いを優先してみます。
いつもそばで応援してくれる方々にまた会えるように。

今日が一番若い日。

人生はイージーモードよりハードモードがやり込み甲斐がある。